逃すかと、とっさにその薄い胸に指を突き込んでいた。
指は容易に皮膚を割り、肋骨の隙間から肉を貫いて、硬い感触を捕らえる。
「いっ・・ぐぁあああっ! やっ・・」
それまで、彼・・いや、彼女なのか? 淫猥な表情を浮かべていたその小柄な身体がのけぞる。
(怖い) (痛い)
(こわい) (いやだ)
(助けて・・)
手応えのない曖昧な人格が口々に喚いて、石鹸の泡が弾けるように消えていき、最後に残った本体が、獣のように光る眼でこちらを睨んでいた。
「っ・・てぇじゃねぇか、くそっ・・マジで死んだらどーすんだ」
「悪りぃ、悪りぃ・・でも、これで目が醒めたろ?」
「こんな状態で起こされても、嬉しくねぇよ・・あっ、ばか・・これ、抜けよっ!」
「やだなぁ、つれないなぁ。入れるときには、尻振って悦んでくれてたのに」
「それ、俺の意識じゃないもん・・あっ、やだっ、ああっ!」
胸を手で貫かれ、いわば串刺しにされた状態のために、いくらもがこうが腕の中から逃れようがない。せめてもの抵抗のつもりか、細い脚を振り上げて足掻いているが、既に根元までぐっぷりと飲み込んで受け入れてしまっているのだから、どうしようもない。
「逃げようったって、そうはさせねぇよ。最後まで味わえよ」
「冗談・・こんな・・いやだっ、痛うっ・・」
「ここまで濡れてたら、そう痛くもねぇだろうが。ああ、胸か? これは我慢しろよ。こうでもしてねぇと、また、意識が乗っ取られるだろ?」
悶えて暴れるせいで、胸の傷口が開いていく。肋骨も何本か折れたようだ。動脈に包まれて脈動する赤い石と、もうひとつ拍動し続ける臓器が露になって、蝋燭の乏しい明かりを受けて、ぬめぬめと鈍い光を照り返している。
「じっとしてねぇと、余計に痛ぇだろうが・・これ以上裂けたら、ただでさえちっこいおっぱい、無くなるぞ」
「うるっせぇ・・」
息苦しそうに喘いでいるのは、肺まで傷つけてしまっていたせいだろうか?
そりゃあ、俺だってこんなのを見て悦ぶ趣味はないつもりだ。だが、いくら可愛く啼いて、身体をくねらせて媚びてみせてくれても、あんなふわふわした虫けら共の意識でそうしているのだと思うと・・最初は本体の性格と、淫乱な彼らの振るまいのギャップに驚き、面白がっていたが、次第に飽きて物足りなくなってくる。
・・本体の意識・・そう、身体だけでなく、心まで虜にしてみたいと思い始めていた。
俺は強欲だからな。
手に入りにくいものだからこそ、欲しくなるんだよ。
だから、逃げようったって、そうはさせない。
キスでもしようと身を屈めたら、本気で噛みついてきた。唇の脇から頬にかけて、ごそっと肉を食いちぎりやがって・・その溢れる敵意・・いいね。その強情な表情が揺れて、俺の中に堕ちてきたらどんなに楽しいだろう?
舌先で広がってしまった口角を舐め、血の匂いを味わいながらその傷口を修復する。一瞬、驚いた表情・・そうか、この身体が人間だった頃から知っているから、ホムンクルスのように再生する姿を見て、ギャップを感じたんだろうな。ああ、そっか、グリードだもんな・・と、吐き捨てるようにひとりごちたのが聞こえた。
「身体は悦んでるんだから、素直になりなよぉ、エンヴィーちゃん。さっきみたいに、自分から腰動かして、感じてみたら?」
「んなもん・・できるかぁっ!」
素直になるどころか、いくら突き上げても唇を噛んで、声を殺そうとする。両手も、こちらの背に回してしがみつけば少しは楽だろうに、硬いベッドのマットにギュッと爪を立てるばかりで・・ホント、強情なヤツだ。
「なぁ、こいつ・・俺の身体の持ち主の名前、リンって言うらしいけどさ・・おまえ、“糸目の”って呼んでるわけ? さっきまで、ずっとそう呼んでたぜ?」
「しるかっ・・んなっ・・」
だが、名前を持ち出されて動揺したのは確かだった。目を逸らし、受け入れている胎内まできゅうっとわなないて反応していた。その内壁に締めつけられ、搾り取られそうになる・・やばいやばい。
「好きなんだ?」
「んなわけっ・・あるかぁっ!」
「とりあえず、今はそいつの名前で呼んでもいいからさぁ・・そのうち、俺の名前を呼んでほしいなぁ」
「あの虫けらどもに呼ばせろよ。なんぼでも呼んでくれんぞ」
「それじゃあ、意味ねぇの。俺はさぁ、エンヴィーに呼んでもらいたいわけ」
「趣味悪ぅ・・」
それには応えずに、苦笑しながら胸に突き込んでいた手を抜き、シーツで軽く血を拭うと、エンヴィーの両脚を抱え込んだ。角度が変わって感じたのか、ようやく・・悲鳴のような痛々しいものではあったが、嬌声と思しきものがあがった。
「そのうち、絶対に呼ばせてやっからな」
「だっ・・れが・・おまえなんかっ・・!」
「うぁ・・いいねぇ。そそるわ、その憎悪に満ちた表情・・出すぜ? 中でいいだろ?」
「やっ・・だめっ・・あ、ああああっ・・!」
拒みながらでも、胎内に放たれて絶頂を迎えたのだろうか。びくびくと小さな肢体が痙攣する。たまらず力一杯抱きしめると、さすがに両腕を回してしがみついてきた。
だが・・妙なことに気付く。意識に、薄い膜のようなものがかかっていく感触・・そして、腕の中にいるはずのエンヴィーが、妙に遠くに感じる。
「あ・・糸目の・・糸目の、だろ?」
余韻にあえぎながらも、必死で言葉を紡ぐ声・・さっきまでの刺々しさがなぜか柔らいでいて・・その声が次第にくぐもって、聞こえにくくなっていく。
「・・ドーやら、そのよーダネ」
俺のものになった筈の身体で、溜息混じりにそう答えたのは・・俺ではなかった。
「あのさぁ・・本当に糸目のだとしたら・・聞きたいことがあるんだけど」
腕を首に回して抱きついたまま、甘ったれた口調でエンヴィーが囁く。だが、こっちは現在の状況を理解するにつれ、背中がすうっと冷たいものが滑り落ちていくような、イヤな感触を覚えていた。
「あんた達、どうやって入れ替わってるの? 教えてくれない? 俺、あんたのお目付役な訳で・・立場上、お父様に報告しなくちゃいけないかもしれないだろ?」
エンヴィーの吐息が、耳朶にかかってくすぐったい。軽く首を振って逃れようとしたら、巻き締められている腕に力がこもった。
「あれ? だんまりを決め込む気?」
そうはおっしゃられましても・・さっきまで眠っていたも同然だったわけで、いきなり思考回路が働く由もない。さぁて、どう言い逃れをしたものか。
こないだはうまく誤魔化せたが、今回はエンヴィーの意識が堕ちそうにない。積極的に抱きついているくせに、こちらの手でいいようにされることは警戒しているのか、両手首に何か・・多分、エンヴィーの触手が・・巻き付いているからだ。
その感触は、表面は人の肌のようでありながら、全体の印象としては大蛇のようで・・その先端は蛇の尾の先のようにすぼまっていた。
腰回りに太股を巻き付けてきているのも、最初は普通の脚だったのが、次第に肌色の蛇のようになってきている。
おいおい、そんなに心配しなくても、こんな化けモン相手に欲情したりしねぇよ。
「なぁ、俺の機嫌を損ねない方が、得策なんじゃないのか?」
「・・イヤ、自分でモ、よく分からないンだよネ」
必死で知恵を振り絞った結論が、それだった。
黙秘権が認められないのなら、知らぬ存ぜぬで押し通すしかない。幸い、その言い分には多少なりとも信憑性を感じてもらえたらしく、エンヴィーは「そうなの?」と呟きはしたものの、それ以上は追及してこなかった。
「意識が戻ってモ、すぐに取り戻されちゃウシ」
「ふぅん。で? あんたの精神とグリードの精神と・・どっちが、変化というか、その・・」
非常に言いにくそうだが、言いたいことは表情から伝わった。
俺が消えていくのか、それともグリードを押し退けていくのか・・あるいは双方が融合してしまうのか。
「・・そんなことは、コッチが聞きたイ」
「そうだよな。新しい人格を入れたってことは、ラースのケースともまた、ちょっと違うみたいだし・・あんたにだって、詳しいことなんか分からないよな」
ラースのケース?
その言葉の意味は分からなかったが、問いただすことで機嫌を損ねてもいけないと思い、あえて尋ね返すことはしなかった。
「なんにも、分からない・・か。それじゃあ、お父様に報告のしようがないよな。言ったら、研究材料になるって喜ぶかもしれないけど」
それは困る・・いじり回されて、本当に身体を奪われてしまっては、ここまで旅をして闘ってきて・・そして、賢者の石を受け入れるという選択をした意味がなくなる。
「そノ・・黙っててくれないカ?」
「俺に、裏切り者になれっていうの?」
言葉の内容に反して、口調はポツンと吐き出すようなものだった。こちらを責めるというよりは、むしろ途方に暮れたような。
「頼むヨ」
そう囁きながら、額にキスしてやる。
自分に与えられた“お目付役”が彼であったことを、感謝すべきなんだろうか?
いや、彼でなければこんな形でバレてしまうこともなかったろうから、不運だったというべきか。
「タダじゃ・・嫌だよ?」
「“対価”ハ、できる限り払ウ」
「高いよ」
身体で払えとか言われるのかな?
こいつの玩具にされると思うと業腹だが、エドじゃないが「生きてナンボ」な訳で・・この際、皇子としてのプライドだとか好き嫌いだとかを、どうこう言っている場合ではない。
「払ウ」
その言葉を聞いて、胸元に顔を埋めて視線を逸らしている少女のように大きな瞳が、微かに揺れた。
その選択が正しかったのかどうかは、分からない。
ともすれば、すぐさまお父様に報告して指示を仰ぐべきだったのかもしれない・・という後悔がこみ上げてくる。
だが、報告すれば・・糸目のが完全に消されてしまうのは、目に見えていた。それは・・本来はそうすべきだったのだろうが・・いや、俺自身だってそれを望んでいたんじゃないのか? 俺、グラトニーに何回「こいつ、食っちまえ」「呑んじまえ」って命じたっけ?
いつの間にそれを惜しく感じるようになってしまったのかは、分からない。
ただ・・こいつが人間だった頃から気になって、気になって・・その感覚を「うっとおしい」「嫌い」だと思ってたはずなのに、ホント、いつの間にか。
「逃げ出そうとしたり、俺達を裏切って、お父様の邪魔をしようとか、これっぽっちでも思ったら・・即刻、お父様に報告して処分するからな」
一応それだけは、念を押しておく。
「あくまでも、俺達ファミリーの一員として、ここに置いているんだからな」
「あんたらノ手伝いをしろっていうわけカ?」
「その仕事の間は、グリードと交替してたらいいだろ? というか、あんたの意識があることは他の連中には内緒なんだし」
「ハッ、違いないヤ・・これから俺ハ、アンタのペットとしテ、生き続けるってワケネ」
「それがイヤなら、今すぐ“消して”もらったって、いいんだぜ?」
「イエイエ・・光栄デス」
「・・嘘つき」
「イヤ、ホント、ホント・・」
触手を引っ込めて解放してやった手で、髪をそっと撫でられる。お互い、まだ裸のまま寝そべっていて、なんかひどく・・妙な気分。
「あ・・あと、もうひとつ。あの鋼ののおチビちゃんのことね」
糸目のが軽く目をそらした。多分、動揺を悟られまいとしたのだろう。両手で頬を挟んでこちらを向かせ、強引に目を覗き込む。
「あいつの名前を口に出したり、気にしたりするのは、絶対に許さないから。会わせたりもしてあげない、永遠にね。今すぐ忘れて・・約束してくれる?」
「ソ・・それハ・・」
「できない? だったら“消して”もらうよ」
ヘラヘラっとした作り笑いの口許が、軽く引きつって綻びる。
やっぱり、それはイヤなんだ・・胸の奥が微かに痛んだ。
「約束・・スル」
永遠とも思えた数十秒の沈黙の後、絞り出すように、糸目のが宣言する。
絶対だよ?と念を押すと、人形のようにコックリと頷いた。
「じゃあ・・さっそくだけど、契約履行してもらおうかな? グリードがめちゃくちゃしやがってさ・・同じ身体で口直しってのもおかしな話だけど・・あんたとあいつと・・全然違うしさ」
「了解・・いや、“畏まりました、ご主人サマ”とでも言った方がイイ?」
「よせよ、笑っちまうだろ。フツーでいいって」
傷口こそ塞いだが、まだ血まみれの胸・・糸目のの唇がそっとそこに触れて、生乾きの血糊をチロリと舐める。
やがて舌先が硬く膨らんだ乳首に触れると、背筋がぞくぞくして、思わず声が洩れた。
そして・・グリードとの入れ替わりのスイッチが何なのか、エンヴィーが気付いたのは、それから数十分後のことだった。
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