この細い目は、自分を見ていない・・最初からそんなことは分かっていたはずだが、あえて気付かないふりを続けていたかった。優しくなぞり上げられ、上ずっていく呼吸の中、いくら呼んでも返事など返って来ない。身体は突き上げられる度、オートマチックに快楽にはまり込んでいくが、焼けるように全身が熱くなっていくのと反比例して、心臓は冷たく感じていた。
「ねぇ、好きなようにヤっていいんだよ?」
「別ニ、ソー言われテもネェ」
もう何回も繰り返した押し問答に、相手は苦笑すら浮かべている。それ以上は言えないのだろうし、こっちも怖くて踏み込めない。
・・本音を言えバ、好きなようにも何モ、アンタなんカ最初かラ、好きじゃないんだからサ。
いや、そう言い切ってくれたのなら、いっそ楽になれるのだろうか。
酸素を求めてあえぐ唇をキスで塞がれ、息苦しさに朦朧としながら、登り詰めていく・・こうなることを望んでいた筈なのに、どこかに小さなトゲが刺さっているようだ。
「グリードはさ、もっと乱暴にするんだよ。痛いぐらい爪立ててさ、血が出そうなぐらい、胸に噛みついて・・」
「そーいうプレイが好きナノ?」
「そうじゃないけど、それぐらい思いっきりしてもいいよってこと」
「傷つけてモ、スグ治るかラ?」
ああ、そうじゃない。そういう意味じゃない。もどかしいが、うまい言葉が浮かんで来ない。
「痛くした方ガ気持ちイイっていうんなラ、ヤるケド」
「俺がイイとかヨくないじゃなくて、糸目の次第ってことだよ」
「別ニ・・そんなン、どっちでもイイヨ。アンタに気持ちヨくなってもらえたラ、それでイイ」
顔面に曖昧な笑みを貼り付かせて、作り上げられた柔らかい口調、淡々と解剖学的な正確さで性感帯に触れ、マニュアル通りに施される愛撫・・エンヴィーは、それでも悦んでいる自分の身体が呪わしかった。自分の脚が、壊れたように視界の端で揺れている。こんなんじゃイヤだ、こんなふうにイかされたい訳じゃない・・そう訴えたくても、それ以上はまともな言葉が紡げない。
「あ、あああ・・ああっ・・」
やがて全身が痙攣し、下肢に己の熱い体液が迸って、シーツを濡らす。
「満足しタ?」
「・・糸目のは、気持ちよかった?」
「俺、ダして無いシ」
「あ・・そうだね」
エンヴィーが、苛立たしげに己の髪を掻きむしった。
射精してしまったら、リンの意識は沈んで、この身体は再びグリードのものになる・・そう気付いてからは、自分の許可なく勝手にイくなと、命令していたのもエンヴィー自身だ。リンはただ、それに忠実に従っているだけで・・しかし、その従順さこそが、逆にエンヴィーの神経を逆撫でしているのだ。
一方のリンも、そんなエンヴィーを見下ろして、途方にくれている。彼の気まぐれで匿ってもらっている現在、彼の機嫌を損ねることは、即ち、永遠の死を意味しているからだ。
イッたみたいだったけど、まだ満足できなかったのかな。房中術を修めているから、テクには多少自信があるつもりなんだけどな・・と、リンはちょっぴり凹む。
でも、これ以上は・・無理じゃないかな。幼女のように滑らかな下腹部で、擦れ過ぎて腫れた内壁の入り口が、そこだけ毒々しい色を見せてまくれ上がっている。いや、化け物の身体は、こんな傷もすぐに修復できるのだろうけど。
「糸目の・・喉、乾いた」
「あン? ああ、水飲ム?」
枕元の小さなテーブルに載せた、艶かしい紫色の色ガラスの瓶に、水が満たされている。グラスも一応用意してあるが、以前、口移しで飲みたいと言われたから、いつの間にかそれがルーティンになってしまっていた。リンは、当たり前のように水を含んだ唇を重ねて、エンヴィーの喉に流し込んでやる。だが、それもお気に召さなかったようで、思いきり口許に噛みつかれた。
「・・っ痛ゥ」
さすがに肉を食いちぎるまではしなかったが、それでも指で触れるとうっすらと赤い汁がついてきた。
「何がご不満なワケ? 言ってヨ。ナンでもするからサ」
「ナンでもするって・・そんな・・畜生ッ!」
「マァマァ、落ち着いてヨ。ナァ?」
リンはエンヴィーを抱き寄せて、彼の小さな頭を胸に押し当て、髪を撫でて子どものようにあやしてやる。
やっとおとなしくなったか・・エドもよく、時々訳わかんない癇癪起こしてたけど、あん時より厄介だよナァ・・と気付かれないように、リンは小さくため息を吐く。
なにせ相手は何百歳も年上で、常人には理解できない価値観と、倫理観が麻痺してしまった思考がこびりついた、歪んだ性格の持ち主で・・こんなヤツの対処の仕方なんて、愛典にも載っていやしない。
我慢、我慢・・完全に身体を取り戻して、この賢者の石を持って、エドと一緒に帰るまでの辛抱だから。それまでの間は、この小生意気なチビのペットでも奴隷でも構わないと、リンは腹を括っている。
エドが今、どんな状態に置かれているのかは気になるところだが、それは尋ねないという約束だ。無事でいてくれることを腹の底で、こっそり祈るしかない。ひとつだけゼイタクを言わせてもらうのなら、自分が今、こうしてエンヴィーの愛玩物になっていることだけは、知られたくないな・・エドのやつ、自分のことは棚にあげて、スンゲぇヤキモチやきだからサ。
多分、あの鋼のおちびちゃんのことが、頭から離れないからだろう・・というのは、エンヴィーにも見当がついていた。
確かに、最初に約束させたように、あいつの名前を口にすることもないし、消息をそれとなくでも尋ねることはしてこない。ホント、健気なぐらい忘れたように振る舞っている。しかし、そうそう簡単に忘れられるものではないことぐらい、忘れろと命じた当人だって分かっているわけで。
「あのおちびちゃんの事、知りたい?」
試しにそう尋ねてみると、リンの表情があからさまに揺れた。細いなりに見開かれた瞳、今にも「エド」とその名がこぼれ落ちそうな唇は半開きで、微かに震えている。
「イヤ・・別ニ」
知りたいと言えば、エンヴィーの機嫌を損ねる、もしかしたら、これは罠かもしれない・・と考え、辛うじて踏み止まったのだろう、絞り出すようにして、そう吐き出す。だが、その言葉とは裏腹に、鼓動が高鳴っていることぐらい、耳を胴に押し付けなくともお見通しだ。
先ほどまでの余裕たっぷりのポーカーフェイスが崩れて、今にも泣き出しそうな表情を眺めているうちに、意地悪したくなってきた。
「知ったらショック受けると思って、黙ってたんだけどね・・もう人柱として使っちゃった」
もちろん、それは嘘だ。
人柱として使う予定があるのは事実だが、それはまだ先の話で、今はアジトの一室に監禁してある。ここしばらく顔は見ていないが、餌を与えに行っているグラトニーによれば、とりあえずまだ生きているそうだ。
「使っタ・・死んだのカ?」
「うん」
そう、死んだ・・だからあのおちびちゃんのことは諦めて、こっちを見てよ・・そう続けたかったが、さすがにそこまでは、エンヴィーも言えなかった。
髪を撫でていたリンの手が、滑り落ちるように首に触れた。その指先が、不自然なほど湿り気を帯びて冷たく、エンヴィーは小さく「ひゃっ」と悲鳴をあげる。見れば、顔面の血の気が引いており、唇も紫色になっている。ちょっとショックが強すぎたかもしれない、とエンヴィーは軽く後悔しながらも、その一方でそれだけ深く思われていたエドに対して、妬ましさを覚える。
絶対、ホントに殺してやる。
人柱として使う・・というのが、必ずしも死を意味していなくとも(その真意はお父様しか知らないが)、あいつだけは許さない。必ず殺してやる。
『エドが・・死んだ?』
リンが両手を付き、首を垂れて、呪詛のように低くつぶやく。こちらの国の言葉を使うことも忘れてしまったらしく、異国の言葉ではあったが、その意味はエンヴィーにも容易に理解できた。
彼の心の支えは、エドひとりでは無かったはずだが、それでも衝撃は大きかったらしい。エド、エド・・と今まで堪えていた分が吹き出すように、その名を呼ぶ声が止まらない。
「そう、死んだ。俺が始末してやったよ。あのガキ・・手こずらせやがってさぁ」
さらにエンヴィーが、そう畳み掛ける。思わず、高笑いしていた。
そうだ、初めからこうしておけば良かったんだ。なまじっかな希望なんて持たせないでさぁ。
やがて、リンがぎこちない動きでこちらを振り向いた。瞳の中に光るものは殺意だ。
『貴様・・ッ』
肩を乱暴に捕まれ、突き倒される。そして・・一瞬、妙な間があった。
「なに? レイプでもする気? 別に構わないけど」
硬いベッドに俯せの状態になったため、エンヴィーは手を伸ばして枕を引き寄せ「これじゃあ、レイプが成立しないかな」と妙な心配をしながら、優雅な仕種で枕に顔を埋める。
「・・しないの? 糸目の?」
背後からバッサリ・・ということは心配していなかった。いくらこちらも全裸で無防備な姿をしているとはいえ、リンが肉体のイニシアティブを取った時点で、武器は全て取り上げてある。素手で人造人間相手に致命傷を与えることなんて、まず不可能なはずだ。
「しないんなら・・俺、起きるけど。ちょっと腹減ったし」
長い沈黙に呆れて、エンヴィーが起き上がろうとして、肩を抑えられた。
その荒々しさに、軽くムッとしながらも、衝動的な行為への期待に、つい胸が高鳴る。
「ヤるの? 好きなように、ヤってイイよ」
例え、それが単なる憎悪の発露であろうとも・・そもそも愛情と憎悪に一体、どの程度の違いがあるだろう?
対極にあるもののようで、一瞬で入れ替わる激しい2つの感情は、いわば表裏一体といえよう。
慣らすこともせず、乱暴に突き込まれて、思わず悲鳴があがる。だが、その声もどこか歓喜を帯びていることを、エンヴィーは自覚していた。
そう・・たとえ、その感情が憎しみであろうとも・・今は、俺だけを見ている。
だが、口づけようと身体をねじって男を見上げたとき、エンヴィーは愕然とした。
「・・グリード!?」
あのタイミングで、リンが精を放った形跡は無かったはずだ。
入れ替わったのなら、あの10数秒の沈黙の間だろう。リンは・・エドを失ったというショックの余り、生きる気力を失ったのかもしれない。そして、代わりにグリードの意識が引っ張り出されて?
「グリードなら、ヤだ・・やめて、痛い」
「おいおい、好きなようにヤれって言ったのは、そっちだろ?」
「アンタじゃない」
あいつは、俺を憎んですら、くれないのか?
グリードは、そんなエンヴィーを見下ろして、リンの顔で笑った。
「なんだなんだ? フラれたのか? 半べそかいて。別に構わないじゃねぇか。同じ身体だぜ? 何が不満だよ?」
「・・下手糞」
「おーおー・・言ってくれるねぇ」
胸を押して抵抗するエンヴィーを押さえ付けて、無理矢理キスする。それは、望んでいた愛撫の筈であったが、なぜかエンヴィーの肌は粟立った。
「ダマされてる間のエンヴィーって、すんげー可愛かったぜ? まぁ、俺の名前を呼んでくれないのがイマイチ不満だけどさ、もう、声だけでイっちゃいそうになるぐらい。いっぺんその声でさ、グリードって呼んでくれよ」
「やなこった」
「ま、焦るこたぁないわな。これから退屈な長過ぎる人生が待ってるわけだし・・出すぜ? もう我慢できねぇ」
グリードが、細いウエストを両手で掴み、叩き付けるように中に熱をぶちまける。エンヴィーはのけぞり、長く尾を引く悲鳴をあげて・・意識が遠のきかけるのを、ベッドに爪を立てながら必死で堪えた。
「・・糸目の」
「だから、違うって」
「えっ!?」
びっくりしたあまりあちこちが軋んでいるのも忘れて、思わずエンヴィーは跳ね起きてしまう。
「マジで!? イったら、入れ替わるんじゃなかったのか?」
だが、起き上がってベッドに腰を下ろした格好で、煙草に火をつける男の、その目は確かにグリードのもので。
グリードもエンヴィーの唐突な台詞に目を丸くしていた。
「ハァ? そういうカラクリだったのか? 道理で」
どうも、彼なりに色々、思い当たる節はあったらしい。エンヴィーはしまったと自分の口を押さえたが、一度出た言葉が戻ってくる由もない。
「うっそだろぉ・・」
「まぁ、当初の予定通りってことじゃねぇか? 死んだと思って諦めろ」
「そんなん、あっさりゆーな」
「おっ、怒った顔も可愛いねぇ。ま、無関心よりも憎まれる方が、よっぽどマシだしな」
どこかで聞いたようなロジック・・それが、自分がリンに対して向けていたものと酷似していることに気付いて、エンヴィーは愕然とする。
「このこと・・お父様には内緒にして」
真っ白になりかけている頭の中で、辛うじてそれだけは思いついていた。
「まぁ、匿っていたことがバレたら、おまえも反逆者扱いされかねないもんな。別にいいんじゃねぇ? 消えちまったようだし、よ。俺も親父殿相手とはいえ、実験、実験で身体をいじり回されるのは、気持ちいいもんじゃねぇし」
「あ・・りがと」
「でも、タダで・・っていうのは、虫が良すぎねぇ?」
「“対価”が欲しいってこと?」
「特に何が欲しいって訳じゃねぇよ・・まぁでも、ヤツのことを忘れて、俺に惚れてくれりゃ、そいつが最高のペイかもな」
これも、どっかで聞いたような会話だ。
エンヴィーは力尽きて、ぐったりとベッドに倒れ込んでしまった。今さらのように全身の関節が悲鳴をあげている。
「腹減ってたんじゃねーの? 食いに行こうぜ?」
「食いたくなくなった・・どうせ別に、食わなくても死なねぇし」
「俺も減ったんだけどなぁ。この身体、えらく燃費が悪くて」
物憂げに見やると、身支度を済ませたグリードが煙草をくわえたまま、ニヤリとこちらを見下ろしていた。
|