エドが、リンにいつぞやの“対価”を支払いに行こうと、彼達が逗留している宿に向かっていたときのこと。
偶然にも、その“受け取り人”が、向こうから歩いてくるのに気づいた。
「おーい、リン」
「・・やア、君か」
リンはニヤニヤと上機嫌そうで、エドはちょっとイヤな感じがしたが、通りの真ん中で手を振って呼び止めた以上、やっぱヤメタと袖にすることもできなかった。
「なんか、いーことでもあったのか?」
「フフフ・・こっちの都合がついてネー。で、コレ」
リンは、親指と人差し指で丸をつくってみせた後、小指を立ててみせた。一瞬、意味が分からなかったエドであったが、やがてカネの都合がついたから、女遊びしてきた・・という意味だと気づいて、頬が真っ赤になった。
「そんなカネ・・どーしたんだよ。盗みでもしたのか?」
「腹へって買い食いでもしよーと思ったら、こづかいが足りなくてネ。んで、なにげに髪の組紐を売ってみたら、珍しい糸を使ってるとかゆーんで、高く売れちゃっテ・・で、ラッキーとか思ッテ」
「へーえ・・確かに高価そうだったけど・・え? じゃあ、その髪留めは?」
「コレか? へへへ。オンナからもらっタ」
そう言って、さらに移り香を楽しむように、服の袖を嗅ぐ。その姿に、エドは、カチンときた。別に妬けたとかそういう訳ではない。
ただ、リンの態度が無性に気に食わなかったのだ。
「・・帰るんだろ? おまえ、宿はこっちじゃなかったろーが」
いきなり、腕を掴んで引っ張った。
「エーッ、もー少し遊んでから帰ローと思っテ・・って、ウワッ!」
“それ”には、エドも驚いた。何かが飛んできたかと思うと、それはエドの頬を掠めて、リンの足元にシュタシュタッと突き刺さったのだ。
『・・リン様・・あたしが目を離していると思って・・』
恨みがましそうな声を聞くまでもなく、“それ”はランファンが愛用している杭のような短剣のような武具・苦無(くない)であった。そう、リンが遊び歩いている間、ランファンが代わりにエドを尾行していたため、今回のリンのご乱行を阻止できなかった・・というわけだ。
『まあまあ、別に仕送りのカネを浪費したわけでもないんだし・・』
『そういう論点ではありません! それに髪留め・・前にもエドワードさんにあげちゃったでしょう』
『別に、これがあるから、いいだろ?』
『・・そんなオンナの物なんかっ!』
いまにも掴みかかって髪留めを奪いそうなランファンを、かろうじてリンが両肩を抱くようにして、押しとどめている。異国人の派手な痴話げんかに、周囲にぼちぼちと見物人が集まりつつある。
「・・オイコラ、エド! ボサッと見てないで、助けロ! 友達だロッ!?」
「何言ってるか全然わかんねーけど、とりあえず俺、ランファンの味方しとこっと」
「・・薄情モノーッ!」
体格はリンより劣るとはいえ、日頃から体を鍛えているエドと、同じく小柄な少女とはいえ、リンの護衛を勤めるほど武術に長けているランファンとのふたりがかりでは、リンに到底勝ち目はなく、おとなしく宿まで拉致られるしかなかった。
宿に戻るや、エドはリンを、着衣のまま風呂に放り込んで、シャワーのペダルを乱暴に踏んだ。天井のノズルから、ダダダッと水が降って来る。
「ギャッ・・つめてぇ・・何すんダッ!」
「ランファン、体を洗うのって、どれ?」
「ハイ、たわし」
「・・ランファンッ!」
もちろん、普段からたわしなんぞで体を洗っているわけがない。
しかし、ふたりともいたく怒り心頭のご様子で・・ランファンはいつものこととして(アルフォンスならともかく)エドまでがムキになっているのが、リンには理解しがたい。
服を引っぺがされ、力任せにゴシゴシこすられて、全身の皮膚が真っ赤になってしまう。
セッカクのオンナの移り香が・・と、リンはしょげかえるが、エドとランファンは、せいせいした、という顔をしていた。
「アト、髪留めも、オンナのっテ・・」
「あ、そうだったな。じゃ、没収」
「オーイ・・おまえラ・・イイカゲンに・・あーワカッタ、オレが悪かっタ。だから、モウ勘弁してくれヨォ」
「リン様、ハイ、コレ・・」
笑顔で新しい組紐を差し出したランファンが、リンの髪を結んでいるエドには分からないように、母国語で『もう失くさないように、この紐には、あたしの髪の毛を織り込んでおきましたよ』と、冗談か本気か分からないことを真顔でささやいたので、リンの肌が粟立った。
「でハ、私、リン様の服を洗濯してきまス・・エドワードさん、リン様の着替え、そこネ」
「おう」
リンをすっぽりとバスタオルで包みながら、エドはにこやかにでランファンを見送って・・ドアに鍵がかかる音がするや、一転してリンをベッドに押し込み、バスタオルをはぐった。
「オイオイ、なんのマネだヨ」
「何って・・気にくわねーのっ! 大佐といい、おまえといい・・」
「マスタング大佐は君と恋仲だローから、大佐の女遊びに嫉妬するのも勝手だローけド、オレまで拘束しないでくれル? 大体、枯れかけた三十路と違っテ、俺はヤりたい盛りの青少年なんだカラ」
「ヤりたい盛りって・・そんなもん・・自分で言うなっ!」
「ナニ? 妬いてるの?」
「妬くか、ボケッ!」
「ドー見ても、妬いてるヨーにしか見えないんだけドネー・・で、この体勢ってサ、誘ってるノ?」
「さっ・・誘ってなんて・・」
「ナニ? それとも身体が疼いてキタ? そーいえバ、最近またマスタング大佐、忙しくてゴブサタみたいダネー」
「そっ、そんな・・なんで知ってんだよっ! おまえ、ストーカーかっつーの!」
エドは、羞恥心で耳まで真っ赤に染めてキャンキャン怒鳴る。リンは面倒になって、その唇に口づけて、黙らせた。一瞬、身体を硬直させて抵抗しようとするが、舌を割り入れて絡めあう頃には、すっかりおとなしくなっていた。
「オレがオンナを抱くのが、気にくわない? 妬ける? オンナに負けたと思うから?」
「妬いてはねーってば・・そりゃあ・・どうせ男だし、俺・・オンナ相手には勝ち目ないけど・・でもだからって、妬いてる訳じゃ・・」
「君は、ヘタなオンナよりか、ずっと可愛くて魅力的だと思ウけどネ」
「じゃあ、なんでオンナなんか買いに行ったんだよ」
「それはオレの自由ダロ。君にオレを束縛する理由なんてナイ。恋人でもナンでもないんだからサ。マ、確かに前、抱かれたいんならイツデモおいデとハ言ったけドサ」
「いや、別に抱かれに来た訳じゃ・・」
「イマさらヤメテと言われても、ヤメられないヨ。コレの始末、させてもらウ」
リンが、ニヤッと笑って自分の下腹部を指差す。エドは見下ろしてギョッとした。
「・・おまえ、さっき、ヤッてきたところなんじゃねーの?」
「だーかーらーオレは、ヤりたい盛りの青少年なんだってバ」
身体を入れ替えて組み敷くと、エドもおずおずと・・やがて、しっかりと両腕を絡み付けて来た。
「・・んで? ホントーのところは、ナニしに来たンダ?」
さすがに一発抜いてきた直後だけに、リンはなかなか達しない。代わりに、煽り立てるように、軽々とエドを絶頂に押しやって、ぐったりしたところでそう尋ねる。
「えーと・・あの・・対価の支払いで・・」
「対価? 支払い?」
「前におまえと、その・・寝たときの対価・・」
「・・えっと・・アルフォンスにカノジョを作ってやれって言ったやつカ?」
「ああ、その“支払い”もあったんだっけな・・アルの彼女はまだ・・何回か、ナンパに行こうとしたんだけど、あいつ、こっちの意図を感じてるらしくてよ。“兄さん、ボクとリンとの仲を裂こうとして、ボクに恋人を作らせようとしてるでしょ”だって・・」
アルの口調をマネてそう言うと、さすが兄弟、本人そっくりで、思わずリンは吹き出すが、その内容はぞっとしない。
「他にあったっケ・・あっ、そうカ。その前の時の記憶・・思い出したのカ!」
「そう。連れ込み宿で、クスリ飲まされてさ。おまえ、“気”について教えてやるっていうから、つい、のこのこついて行ってさ・・」
一通り、思い出したことを話してやる。
「・・フーン・・」
上体を起こして考え事を始めたリンの背中には、この間エドが引っかいた傷が、翼のような形にうっすらと残っていた。いや、もうほとんど見えないぐらいには治っていたのだが、さっきたわしでゴシゴシこすったものだから、再び赤く浮き上がって来たのだ。
エドは手を伸ばして、その痕をなぞる。
「コラコラ・・考えてるんだかラ邪魔すんナ、気が散ル・・」
「不老不死のことになると、おまえってホント真剣になるんだなぁ・・そこまでして、欲しいのかよ、皇帝の座ってヤツが」
「当たり前デショ。現世で得られるモノ・・カネ、地位、名誉にオンナ、全部掌中に入る権力なんだかラ」
「・・おまえ、すんげー俗物」
「皇帝なんて神様みたいな存在だかラネ。いま俗物でも、皇帝になって相殺すりゃフツー以上かもヨ」
「変な理屈・・人間は所詮、神にはなれねーよ」
「ただの比喩ダヨ。宗教的な話をしてル訳じゃネーっテ・・こっちの宗教観では“解脱”とか“昇天”とかいう概念、ないみたいだから、理解できないのかもしれないケド・・まァでモ、そのあたりなのかナ、ヒントは・・」
「・・?」
「人間は、例の、その真理の扉に自由に出入りできるようにはなれナイ・・多分、その場・・フィールド? ってのは、人を超えた存在の領域なんダロ」
「つまり、俺達に神になれっていう訳か」
「フリーパスで出入りできる・・いちいち手だの足だので、切符を買わなくても済ム身分を、そう呼ぶのならネ」
「・・でも、あの夢では、はっきりと真理の扉を見れた・・不思議な話だけどな。一度見た光景をプレイバックしているだけなのか、新たにもう一度そこに辿り着いたのかははっきりとは分からないけど・・新たにもう一度行けたんだとしたら、すんげーことだよな」
それを確かめるためにも、もう一度、見てみたい、という言葉を口にしかけて、エドはそれをぐっと飲み込んだ。それじゃあ、まるで、誘ってるみたいじゃねーか。俺が。
しかし、リンも同じことを考えついたのか、エドをまじまじと見下ろして、乱れた三つ編みを片手で弄んでいる。
クスリであの状態を再現する・・のは、さすがにヤバいよなぁ。
単に、仮死状態になれば見えるってモンでもないらしいから、失神するまでヤるって訳にもいかねーだろうし・・つうか、こいつ、身体鍛えてるから、心臓強くて、失神するまでヤルのって無茶苦茶しんどいし。というより、前に丸一日ヤりまくっても、結局そこまで到らなかった訳だし。
こーんだけタフな相手だったら、イくときに軽く首絞めてやるとか、それぐらいしないと無理だろーけど、それこそしくじったら命にかかわるし。
房中術を使うとすれば・・?
単に抱いてやれば良いわけではない。房中術には“補導”という別称があるように、本来は足りない“気”や精気を補うために、パートナーからそれを吸い取る・・という術である。その術を用いて人間のレベルの“気”を超えて、仙人になる・・というのが究極の目標なわけだが。
・・男同士だもんなぁ。
本来、男性の気を補えるのは女性で、逆も然り。陰陽の原理からいっても、あり得ない訳で。仮に、それが可能だとしても、自分がこいつのための踏み台というか、肥料・・のようなものになってやるつもりはない。
女だったらね・・どっちかが。
または、こいつが女を相手にするんなら、ある程度やり方を教えてやるという方法もアリかもしれないけど。
あるいは“気”の巡りを天地の“気”の循環に同調させる・・エドの記憶によれば多分、前に試した術というのは、こっちなのだろう。
前回は案外、あっさり達したようだが、本来はそう簡単に全身の“気”が全身を通るわけではない・・多分、クスリの効果で飛んでしまった影響で、偶然、余計なプライドとか羞恥心とか自我とか・・そういった雑念のない、クリアな状態になれたのだろう。しらふでそこまで調教しようとしたら、どれだけかかるんだろうか。
「・・なに? こわい顔して」
「アン? ああ、ナンでもネーヨ。元々目つきが悪いダケ・・こっちが地顔だカラ」
「そーかよ」
「・・なァ、ちょっと本腰入れて、オレとオツキアイ、しなイ?」
「ハァ!? なんで? 俺は大佐とその・・」
「いや、乗り換えろとユーわけじゃナイ。ただ、もう一度、あの扉の夢を見せることができるのは、多分、オレしかいないと思うヨ」
「・・!!」
エドの表情が揺れた。通俗的な表現をすると「天使と悪魔に同時に囁かれている」といったところだろうか?
もちろん悪魔が「そうだ、いっちゃえ! 知りたいんだろ?」と言い、天使が「そんなことまでして良いのか? 大佐に悪いとは思わないのか?」と言っているわけだろうが。
「・・でも、そんなのバレたら大佐、むちゃくちゃ怒ると思う・・」
「バレなきゃイーじゃん。バレないようにするっテ。大体、キスマークも爪の痕もつけたことネーダロ?」
エドは、ぐずぐずと迷っていた。
リンに好意を感じるのは、アルの精神が混線しているから・・という前提が、余計に判断を鈍らせる。大佐やアルへの後ろめたさもある。
ただ、申し出を断わってしまうと、真理への道のりを遠回りしてしまうような気がするのも確かだ。
以前、人造人間のグリードから「魂の錬成法と、人造人間の秘密について、情報交換をしよう」と提案されたにも関わらず、アルがさらわれたとか、先生がケガしたとかいうささいな理由で、カッとして断わってしまったことがある・・あのときと同じ失敗を今、しようとしているんじゃないか、という気もするのだ。
「浮気するのはイヤなんだけど・・」
「ア、ソウ・・残念ダナァ」
「イヤはイヤなんだけどさ・・もし、いや、あくまで、これは仮定なんだけど・・俺がオーケーしたら、おまえ、どういうふうにするつもりなわけ?」
「エ? マァ・・そうだネ・・房中術をちょこっと伝授しテ・・“丹田”の流れが悪いところを開発すれば、前回の状態に近くなるんジャないかナーと・・具体的には、のどの辺りカナ」
「ノド? 丹田?」
「人体には、血液が循環するように“気”が循環していル・・その通り道を経絡といっテ・・大地の“気”の通り道を“龍脈”というのと同じやつダ。その龍脈が放たれる部分を“龍穴”というんだが、人体にも当然、その“龍穴”がアル・・チャクラという呼び名もあるが、シン国では“丹田”と呼ぶわけ。で、その龍穴の気が滞るとその土地は荒れるし、人体なら心身を害すル。下腹部は性欲を司り、胃は知識欲を・・眉間は真実を見る力・・と、それぞれ役目があって、そしてつまりアンタの場合、表現力を司るのどの“気”が滞っている・・と、オレは診ているワケ・・だから、君は素直じゃないワケだ」
「でも、房中術って・・要するに、えっちするんだろ? どーやってそんなもん、開発するんだよ」
「それはナイショ・・」
リンはクックックッと笑ってみせる。
「うーん・・そんな思わせぶりな・・迷うじゃねーか!」
「マァマァ・・だったら、浮気がイヤなんて言わないで、ダマされたと思って、オレと付き合ってみなッテ。オレも君に目いっぱい投資すルカラ」
「投資って・・」
「シン国では、こーゆーのを『奇貨、おくべし』ってゆーんダ」
投資して、それに見合うだけのリターンがあるのか、否か。
それは、リンにとっても小さくない賭けだ。
「・・錬丹術については、知りたい。色々と」
「ジャ、決まりダナ」
「あのさ、じゃあ・・これからも俺とヤるんだったら、せめて・・オンナ買いに行くの、やめてくれる?」
リンは、エドの挙げた「条件」に、つい、苦笑してしまう。
・・商売女とのデートだの、フーゾク遊びなんかを“浮気”認定しちゃうような感覚じゃあ、先が思いやられるよなぁ。
ましてや、房中術は、恋人としてじゃなく、生殖のためでもなく、性欲のはけ口や商品としてでもない、“術”としてのセックスだというのに。
そういう思想や風習がない国で生まれ育っているのだから仕方ないが、それをどう説明したら、理解してもらえるのか・・冷静に考えたら気が遠くなりそうだ・・まあ、焦らずにちょっとずつ、手ほどきしていくしか、ないよな。うん。
エドの気が変わらないうちに、リンはエドを抱き寄せて「ああ、やめる。約束スル」と囁いて、キスしてやった。
【後書き】「KON-LON」で、エドが「対価を支払いにいかないと・・」と呟いたことから、思いついたショートストーリーです。前半の、ランファンとふたりしてリンを洗うシーンは楽しく書けました。あと、背中の傷跡をなぞるシーンが好き。
後半は、難しい話が多くて・・これでもかなり削ったんですがね。終わり方が尻切れトンボなのは“開発”してあげるエッチシーンとか、洗濯から帰って来たランファンが逆上するシーンなんかも入れようかと思っていたのが、力尽きたからです。まあ、とりあえずは「対価支払い」というタイトルだし、これでいいか、と。 開発シーンは、そのうち、別の話で書こうと思っています。ふっふっふ。
|