グラトニーの腹の中の“擬似真理の扉”に閉じ込められ、このまま脱出できずに朽ち果てていくのかと思われた。常にふてぶてしく余裕に満ちているエンヴィーでさえ、出口はないと脱出を諦めていた。
しかし、正体を現して巨大な合成獣と化したエンヴィーに飲み込まれたエドが、その体内で“賢者の石”を目の当たりにして、何か閃いたらしい。
「うるっせぇ! こいつら黙らせろ! この空間から出られるかもしれねぇ! 協力しろエンヴィー!!」
この賢者の石の力を借りて、空間に穴を開けられないか、ということだ。得意満面のエドから、そのとんでもない方法を聞かされたふたりは、ポカンしてしまった。
「・・はぁ!? 俺と・・おまえらでヤるって・・ヤるってアレか?」
「ソレ・・誰がスんの?」
「リン」
「ナーンデ! 言い出しっぺがヤれよ、こーいうのハ!」
「俺、左腕折れてるし」
「俺だって、肋骨2、3本折れテルヨ!」
「だってリン、帝王学の一環で、房中術を修めてるんだろ? セックスで全身の気を通して活性化させるってヤツ・・あれでさ、賢者の石の力を発動させることができるに違いないって」
「化けモンは守備範囲外ダッ!」
ふたり仲良く押し付けあいをしているのを、あっけにとられて眺めてエンヴィーだが、ふと我に返って「つーか、俺の意志、無視かよ!」と喚く。だが、エドはケロッとしたものだ。
「ここを出られるか出られねーかの瀬戸際なんだぞ! ケツぐらい貸せっ! なぁ、リン?」
「俺も無理ッ! 第一、こんな化け物相手に勃ツカヨ!」
「おまえなぁ、贅沢言うなよ・・勃つよーな格好に化けてもらったら? 俺とか」
「・・えっ、アンタらって・・」
意外な事実の発覚に、エンヴィーはめまいがしそうだった。道理でこのド腐れドちび野郎は、ナチュラルにそんな突拍子もないことが思いつくわけだ。
確かに、房中術を使うというのなら、自分がやるしかない・・とは分かっていても、逆にその術を修めているがために、エンヴィーが普通の人間でないことも感じ取れてしまう。それが、生理的に彼を受け付けない理由のひとつだ。
確かに、民草全ての父でもある皇帝たるもの、後宮三千人を満足させるだけのテクと精力が必要とされるのだが・・人間ではない化け物相手にまで応用できるとは限らないじゃないか。
「でもサ、房中術の基本的なコトは、エドだって分かってルダロ? 教えてヤッタんだシ」
一縷の望みを持って、そう言ってごねてみたが、エドはあっさりと「だって俺、それで開いた空間の穴を、錬金術で固定するという役割があるし」と言い返す。確かに・・リンは錬金術が使えないので、その代役は務まらない。
完全に逃げ道を失ったリンはかっくりと肩を落とし、あきらめたように黒コートを脱いで、血の沼から突き出している大きな瓦礫の上に放り出すようにして広げる。
「血まみれダシ、薄っぺらイからクッションにもならネーケド・・なんもネーよかマシだろ」
「そう・・だな」
こちらも渋々といった様子で、エンヴィーがそのコートの上に腰を下ろした。
「おーい、頑張れよ。俺達の生死は君達の努力にかかってるんだから」
のんきな声で呼びかけるのは、エドだ。リンもエンヴィーも「このドチビ、ここを脱出したらただじゃおかない」と、腹の底で決意したものだ。
「あのサァ・・頑張レって言われテ、ソー簡単に頑張れルモンじゃねーんダケドナァ」
「勃たない? 俺が手伝ってやろーか?」
「シューチシンというもンがないのカ、オマエ」
「俺は生きるためなら、チンコでも靴の裏でも舐めるね。人間、生きてナンボだ」
胸を張ってそう高らかに宣言するエドを、リンもエンヴィーも、得体の知れない異星人でも見るような表情で見やる。
「・・本当ニ、こんなンで助かるのカヨ?」
「可能性が1%でもあるんなら、それに賭けようぜ。何もしなければ何も起こらねーでこのまま、死ぬのを待つだけなんだからさ」
「マ、それもソーダケドヨ」
エドがリンの足元に膝まづき、ズボンの腰紐を解き始める。
「・・ふふ、普段はこんなサイズなんだ。今まで、勃ってるとこしか見たことねーからさ・・かわいい」
「殴られタイのカ?」
「いつもこれぐらいなら、ディープスロートできるんだけどなぁ」
「要らんコト言ってンジャネェ!」
しまいに、頭を思いっ切りどつかれた。
エドは「ひどいなぁ、乱暴だなぁ、愛がないなぁ」と文句を言いながら、引っ張り出したリンのソレをしゃぶり始め、エンヴィーは露骨にイヤな顔をしてそっぽを向いた。
目を逸らし、耳を塞いでいても、ほんの数メートル先でしていることなんて、いやでも分かる。常人よりも五感が鋭いので、なおさら鮮明に伝わってしまう。
濡れた音、舌の動き、それに伴って上ずっていく男の呼吸、身じろぎする微かな衣擦れ、しのび笑いしてぼそぼそと囁く・・なぁ、こーいうのも刺激的だと思わねぇ?・・バァカ・・でも勃ってきたよ? チュッというのは、どこにキスした音なんだか。
汚らしい・・嫌悪感で反吐が出そうだ。
あんなことを、今度は自分もさせられるなんて、おぞ気が走る。
だが、そう思っているはずなのに、エンヴィーの体の奥からはゴボゴボと音を立てて、熱い塊が噴き出してきている・・彼の体の中に取り込まれている無数の人間どもが、ふたりの行為に反応してさざめき出していたのだ。
(私も)
(私も抱いて)
(欲しい)
(抱かれたい)
クズどもが。
普段はエンヴィーの力に押さえつけられているはずの彼らが、こういうときばかりは何故かエンヴィーの意識を押しのけんばかりだ。人間ってヤツはどうも・・セックスに異常な執着心を持っているらしい。それは子孫を残したいという生物としての本能の発露だというが・・死なないはずの人造人間であるエンヴィーには、そのあたりがいまいち理解できない。
色欲を司っていたラストだったら、これを理解できたのだろうか?
いや、彼女は鼻で笑って「そんなもの、ただの道楽よ」と言い切ったことだろう。
だが・・道楽にしては、この感触はエンヴィーにとってひどく不快だ。
「よっしゃあ、準備オッケー」
いかにもエドは嬉しそうだが、リンは物理的刺激で反応してしまった男性生理を呪いたい気分だった。
「このままエドとヤれるんダッタラ、イーんだけどナァ・・」
「ここを脱出できたら、いくらでもさせてやるよ。思いっきりサービスしてやる」
リンは恨めげな視線をエドに投げかけてから、屹立したものが恥ずかしいのか、白ブラウスを脱いで腰に巻くようにして下腹部の膨らみを隠してから、エンヴィーの傍らに腰掛けた。エンヴィーは一瞬、そのあたりに視線を走らせすぐに目をそらす。エンヴィー自身は激しい嫌悪感を感じているはずなのに、胎内の何十もの魂はそれに焦がれて求めている。
「エドとはいわねーケド、せめて、ソの気になれるよーなキレイなねーちゃんトカに化けてくれナイ?」
確かにそれなら、オカマを掘られずに済むし。うん、絶対その方が痛くないし・・いや、痛いとかそういう問題じゃないんだが。エンヴィーの腹の奥に熱い鉄棒でも突っ込まれて、ぐるぐるとかき回されるような感触が沸き上がった。いや、てめぇら、勝手に人の身体を変えんじゃねぇ、まだ女になるなんて決めてねぇぞ。
「・・ドシタ? 顔色悪いゾ?」
「いや、平気だ」
そう言いながらも、エンヴィーの額には脂汗が浮いていた。その汗を拳で拭って、変化する人間をイメージするが、胎内でざわめく声に邪魔されて、なかなか上手くいかない。全身に微かな電光がパチパチと走り、皮膚が何度かうねっては変化しかかるが、それ以上は無理のようだった。
「変身できないの? じゃあ、そのままヤったら? 小柄で細身の子が好みなんだろ? 良く見たらエンヴィーも、リンの好みの範疇なんじゃねぇ?」
これまた他人事のように・・というか、見事に他人事のエドが、あっかけらかんと言い放つ。
「ひとの好みヲ勝手に決めるナ!・・デサ、オマエがチョロチョロしてッと気が散っテ、せっかく勃っタもんが萎えソーなんだけド」
「あーそう? じゃあ、俺、こっちの陰にでもいるね」
エドの姿が瓦礫の向こうに見えなくなった。リンとエンヴィーが気まずそうに顔を見合わせる。
「糸目の・・マジですんの?」
「しゃーネェダロ? こーなったラ、トットとヤって、チャッチャと終わらせヨーゼ」
「そうできたら、いいんだけど」
「ハァ?」
抱き寄せようとして、その重みにギョッとする。そうか、こいつ・・見かけと違って、すんげー重たいんだっけ・・膝の上に抱き上げるつもりだったのだ。やべぇ、やべぇ・・危なかった。
「横ンなっていい? ちょっと・・しんどい」
「アン? ああ、その方がこっちも助かルけどヨ・・顔、真っ青ダゾ、大丈夫カ?」
尋ねながら、リンは自分の台詞のおかしさを感じる。ついさっきまで殺しあいの戦いをしていた相手に“大丈夫か”もへったくれもないもんだ。
一方、エンヴィーの胎内に荒れ狂う声はいよいよ大きくなって、エンヴィー自身の精神を押しのけようとし始めている。心臓ごと魂が吐き出されてしまいそうな、激しい吐き気がしていた。
外見は変わらないが、中身は暴走し始めており、皮膚の下に無数の蛇でもいるように、腹や胸の皮膚が裂けそうに盛り上がっては、不自然にへこみしてうねる。
「ゲェ・・それ、ちょっとグロいゾ」
「見るなっ!」
エンヴィーが、リンの腰に巻きつけられた白いブラウスを奪うように剥ぎ取って、それで腹を覆う。
「なーンカ、ヤバそうだナァ・・突っ込んだラ喰い千切られるトカされソーで、怖いナァ・・そっちモ苦しソーだシ」
「でも・・するんだろ?」
「マァ、生死かかってルっつーかラ仕方ないらしーヨ」
リンもついに腹を括って、エンヴィーの膝を割るようにして、ゆっくりとその腹の上にのしかかった。右手をエンヴィーの黒いショートパンツの中に差し入れる。
「・・こっちダケ、女にシたのカ?」
「しらねぇ・・そこが、いま・・ど・・なってるか、わかんねぇ・・」
「ソーナン? めちゃヤバイな、ソレ」
恐る恐る、そこに指を差し入れてみた。ぬるっとした感触に熱い内壁は女のものに似ていたが、どこか違う・・不自然に蠢き、指先にざらつく突起が感じられる。突っ込んだら気持ちいいだろうなとは思うが、いや、化けモンだし、と思い直す。
(入れて)
不意に声が聞こえた気がして、リンはぎょっとした。左右を見回しても誰も居ないし、エンヴィーの声でもなかった。その声は・・中からしていた。
(欲しいの)
(ずっと待ってたの)
(もっと・・奥に・・)
リンが指を抜こうとしたら、内側から触手のようなものが指に絡み付いてきて、引き止めようとした。それを強引に引っ張って引き剥がすと、その触手は案外もろくぶちぶちと千切れて落ちた。唖然として見つめていると、その部分はみるみる塞がってしまう。
「ヒャァ、ヤバかっタ・・悪いけド、後ろの方でサせてもらうヨ」
「か・・ってにし・・ろ」
「こっちには罠、無いよネ?」
「し・・らね」
「厄介ダナァ・・」
指先を舐めて濡らそうとして、先ほどの粘液がまだべったりと絡みついていることに気付く。これをそのまま滑りに使っても良さそうだが、自分のモノをそこに入れることを考えて、半脱ぎ状態になっているズボンに擦り付けて拭いとった。
・・というより、スキン欲しい・・よく考えたら、ナマでやるのはちょっと・・でも、今さらエド呼んで「スキン錬成してクレ」という訳にもいかねーよナァ・・参っタ。
あらためて、唾で濡らした指を下腹部に這わせて入り口の辺りを探る。触った感触では、特に変わったところはなさそうだった。エンヴィーが苦しそうに息を吐いて、すがりつこうとする。その重みに、リンの体勢が崩れた。振り払って「腕載せるナッ! 重たいッ!」と喚くが、エンヴィーのリアクションは鈍かった。
(抱いて)
また声がした。これは・・エンヴィーの中に封じ込められているという人間の声だ・・と、リンは気付いた。エンヴィーの身体から感じられる無数の“気”が・・今まではただ混沌として押し込められている感じだったのが、激しく流れて今にも吹き出しそうだ。
「・・南無三・・」
なぜか念仏を唱えながら、リンは片手を自分のものに添えて入り口に押し当て、体重を乗せるようにして、押し入った。エンヴィーの唇から、彼ではない声で悲鳴がほとばしった。
腕の中で喘ぎ、髪を振り乱しながら首を打ち振るその姿は、外見はエンヴィーだが、中身は違うらしい。何回か、頬を軽く叩いて呼びかけてみたが、返事はなくただ虚ろな目で嬌声をあげるだけだ。
(抱いて)
(あたしも抱いて)
無数の人の“気”が、快楽を求めて押し寄せてきていた。
今、まさに抱かれているはずなのに、(私を抱いてよ)(どうして私を抱いてくれないの?)と焦がれる思念・・嫉妬が、無数に渦巻いている。
(欲しいの)
(アタシじゃだめなの!?)
(入れて・・感じさせて)
その思念は、入れ替わり立ち替わり、エンヴィーの身体を借りて快楽を貪ろうとする。
何度となく絶頂に達したかのような声があがり、全身が痙攣するが、すぐに(次は・・私)と囁く声がして、絡み付いてくる。
冗談じゃねーぞ、こんなん、いちいち相手してたら、枯れちまうッテ・・リンは精を放ってしまうことがないように『さっきの触手、グロかったヨナー』などと気を紛らせていた。
(ちゃんと抱いて・・こっちを見て)
エンヴィーの手がリンの頬に触れた。ハッとして見下ろすと、紅い唇を吊り上げるようにして、エンヴィーではない笑みが婉然と浮かんでいた。濡れ濡れと光る舌は外見上なんの変化もしていない筈なのだが、こうしてあらためて見つめていると、グロテスクな軟体動物が蠢いているようにすら見え始める。
「・・オマエらと遊んでヤってル暇はネーんだヨ、本体、出せヨ」
(本体? それはだぁれ? アタシじゃ・・だめ?)
唐突に内壁がうねった。精を絞り出すように締め付け、内側がざわざわと陽根に巻き付いてくる。
「ぐっ、ぐわぁあっ!」
思わずリンが悲鳴をあげていた。不意打ちに搾り取られそうになるのを、動きを止めて耐える。
しゃーネェダロ? こーなったラ、トットとヤって、チャッチャと終わらせヨーゼ。
そうできたら、いいんだけど。
さっきは意味が分からなかったけど、なるほど、こーゆーコトなのネ。
こいつら全部イかさねーとダメなのかなぁ? 何人斬りダヨ! というか・・俺のも確かに心配だけド、こいつの身体もヤバくねぇ? 妙に内壁が熱くて滑りが良くなっている理由なんか、考えたくない。突き上げる度に、白い脚が人形のように力無くカクンカクンと揺れていた。
それでも・・そんな状態でも、虚ろな瞳のまま(抱いて)と囁く声がする・・。
どれぐらい経ったろう? 気配が、また入れ替わった。だが、今回は感じる手応えがしっかりしており、先ほどまで虚ろだった瞳もぼんやりとながらも焦点を結び始める。
「・・本体、ダナ?」
「えっ・・ほん・・た・・」
「エンヴィー・・ダロ?」
先ほどまで、エンヴィーの体内に取り込まれていた連中が暴走して、彼の体を奪いあいしていた様子だったのだが、ようやく本体がイニシアティブを取り戻したようだった。
いや、これも一時的なものなのだろう、エンヴィーの体内では、まだ“気”が嵐のように吹き荒れている。
「エンヴィーなら・・今の内にイクぞ・・イイカゲン、終わりにしてェからヨ」
「あ・・ああ、そーだな・・糸目の、俺でイけんの?」
「俺はずーっト我慢してンノ! 無駄口叩いてボヤボヤしてット、また乗っ取られルゾ」
「そ・・だな」
エンヴィーが腕をリンの首に回す。さっきまでは「重たいかラやめロ」といちいち振りほどいていたリンだったが、これで終わりと思ってか、今度はそのままにさせておいた。これが胴を抱きしめられたら・・折れた肋骨が内臓に刺さるかもしれないのでゴメンだが。
エンヴィーの半開きの唇がわなないているのに気付き、リンがそれを自分の口で塞いでやる。まさかキスまでされるとは思っていなかったエンヴィーは、一瞬目を見開いて振りほどこうとしたが、舌が絡み合う頃には肉体の反応に負けたのかおとなしくなって、むしろリンの唇を貪るように応え始めた。
くっそぉ、この淫乱ヤロウ、さっさとイけよぉ・・唇を離すと、互いの唾液が銀色の橋を作った。それに見とれる情緒もなく手の甲で口を拭ったリンは、体を起こしたまま、今度は両手をエンヴィーの胸板に這わせる。手のひらで乳首を転がすと、一段と嬌声が高くなり、身悶えた内壁がうねってリンを締め付けた。
「ウグッ! 締めんナ、バカッ! 痛ェッ!」
「だってそんなん・・わざとじゃねーよ!」
わざとでたまるかと、リンも怒鳴り返そうとしたが、ここでケンカを始めてイってもらえなかったら、こっちも困るわけで。悟られないようにそっとため息をつくと、「・・ソウだヨナ、悪イ悪イ」と囁いて、もう一回唇をついばむように軽くキスしてやった。
掌に伝わるエンヴィーの鼓動は、心臓のものと、賢者の石のものらしいものと、ふたつある。そのリズムはてんでバラバラだが、どちらもかなり高まっており、過呼吸を起こすのではないかと心配になるほど、呼吸が浅く早い。ただ、その肌は絶頂を迎えようという今になっても、不自然に冷たいままだった。
ヤッパ、こいつ化けモノだ・・と、考えることで、リンはもう何回堪えたか分からない波を、またひとつやり過ごした。
「もう・・来ていいぜ、多分・・俺も、もう・・」
エンヴィーが、あえぎながらそう囁く。
「ホントだな? やり直しはきかネーゾ?」
こくり、と顎で返事をする。もうこれ以上言葉をつむぐ余裕もないらしい。
エンヴィー自身も、体内で吹き荒れる風に耐えて、意識を手放さないようにするのに必死なのだ。リンの声はもうほとんど聞き取れず、ただ頭の中には(私も)(どうしてワタシじゃないの)(抱いて)(あたしを抱いて)(私はまだなの?)などという恨めしげな声が、幾重にも重なって響いていた。
くそやかましいクズどもめ・・バカ糸目、さっさと・・終わらせろ!
やがて・・ついに、リンが動きを止めた。
エンヴィーが化鳥のような悲鳴を上げて、その体にしがみつく。
全身が跳ね上がるほど激しく痙攣し、断末魔から死に向かうように徐々に脈動が弱まっていく。ずるりと中から抜け出すが、エンヴィーは壊れたように反応がなく、ぽとりと両手がリンの体から滑り落ちる。
「・・熱い・・」
さっきまで冷たかったエンヴィーの肌がじっとりと湿った熱を帯び、鼓動が激しく乱れ打っていた。
女なら、こんな反応は絶頂を迎えた証拠なのだが・・ここは心臓ではない。ということは、これは例の・・賢者の石の鼓動ではないのか?
「エド! “扉”は!?」
リンは我に返ると、気力を振り絞って叫んだ。
エドも、ふたりの雰囲気に飲まれて唖然と立ち尽くしていたようで、リンの声にハッと、周囲を見回す。
「あっ・・あった・・!」
虚空の中に、光り輝く球体のようなものが出現していた。だが、その球体の中は、外の世界らしい。魚眼レンズで覘いたような、妙に歪んだ風景ではあったが、そこには薄暗い地下道のようなものが映っていた。
「俺たちのアジトに向かう通路だ・・グラトニー、何やってんだ?」
「エド、あれ、固定すんダロ!?」
だが、その球体は徐々に光を弱め、上空へ飛んでいこうとする。エドもどうしていいのか、見当がつかないのか、ぼんやりと見送っている。
「こんのド腐れドチビッ!」
エンヴィーがじれたのか、リンにすがりつくようにしてなんとか上体を起こすと、エドに向けて、鞭を振り下ろすように右手を差し伸べた。一瞬にしてその腕は、長く巨大なバケモノのものになり、エドの襟首を掴み上げるや、その球体向けて放り投げた。
「きりきり仕事せいや、錬金術師っ!」
「う、うわぁああああああっ!」
だが、エドの体が届く前に、その球体はふっつりと消えてしまった。エドはむなしく重力に従って自由落下し、血まみれの大地とキッスをする羽目になる。
「・・ウッ・・ウッソダロォ!?」
「再トライ・・は、無理だよな」
「絶対ムリ・・ヤリ過ぎて、自分のジャねーみたいデ感覚ネーもん。当分勃たネーかも。オマエもシンドイダロ?」
「しらふに戻ると、ちょっとつらいな」
エンヴィーは自分の下半身を見下ろした。股関節が壊れたかのように不自然に押し広げられた腿は、血まみれだ。体の下に敷いていた黒コートにもべっとりと血が付着している・・もっとも、元々リン自身の血と、この沼のせいで、ドロドロになってはいたのだが。
「無茶するなぁ・・ひでぇ」
「ドーセ治るんダロ? 簡単ニ」
「まぁね」
「・・さすが化けモン」
そう罵りながらリンは自分の下履きを直し、コートを拾い上げようとして、エンヴィーがまだその姿勢で見上げていることに気付いた。やれやれといった様子で、鉛のように重たいエンヴィーの足首を掴むと、その膝を閉じてやる。力がこもったせいか、肋骨の傷が今更のように鈍く痛んだ。
「クッソォ、痛ぇ・・テメー、体のパーツ、パーツまでいちいち重てぇんだカラ、こんなことさせんナ・・ってサ、これッテ、俺がオカマ掘られル側だったら、圧死スルところダヨネ」
「そんときには、潰さないように騎乗位か座位か・・工夫しなくちゃな」
「そんな工夫イラネー! つーか、テメーとなんか二度とゴメンダ!」
「ま、そりゃそうだな」
エンヴィーの腰の辺りが鈍く光った。壊れた下半身を修復するためであるが、それを見下ろすリンがまた「すげー・・やっぱ化けモンだ」とぼそっとつぶやいたのが、妙にエンヴィーの神経を逆撫でした。
「えーえー、おいらは化けモンですが何か? アンタ、その化けモン相手にオッ勃ててやがったんだろーが」・・などと恨みがましいことは、あえて口に出さない。どうせ、無事にここを脱出したら、抱き合っていたことなどコロッと忘れたように、さっきの殺し合いを再開するかもしれない立場でもあるのだから。
「それよりモサ・・エドの奴、2、3発ブン殴らネート収まんねーヨナ」
「あ、それは言える。俺も殴らせてもらおうっと」
リンが黒コートを羽織り、エンヴィーも立ち上がって服や髪の乱れを直してから、おもむろにふたりして振り向くと、血の沼にべったりと尻餅をついた格好のエドが、顔面を引きつらせていた。
「あ・・いや、その、ほら、本当に脱出できる扉が開いただろ? その、どんな形でかなんて予想がつかなくって、一瞬、どういう術を使おうかって迷ってしまって・・ははは」
「はははで済むカッ!」
「こんのド腐れドちびっ! てめぇ、ぼんやりしてんの、一瞬どころじゃなかったろーが!」
「あ、それはだって、おまえらのがすごくてさぁ・・あんなに最初嫌がってたくせに、最後ディープキスとかしちゃって、すっげーとか思って」
「バカッ! ここヲ脱出デキルかドーカの瀬戸際だっつーカラ、化けモン相手デモ、割り切ってヤったんだろーガ!」
「アンタさ、どさくさ紛れに失礼なこといってない? 糸目の」
「ロッ・・ロープ、ロープ! その、いや、悪気はなかったというか、鋭意努力をしたというか・・リン、凶器を使うのは反則だっ! エンヴィーも・・いや、道具使わなくても、そーいうふうに変化した腕は凶器認定だからっ! ほら、俺ってば腕折れてるし・・暴力反対! 世界に平和を!」
「訳わからんわっ!」
どかっ、ばきっ・・! エドの小柄な身体が豪快に吹っ飛んだ。
ぶん殴られたエドが目を覚ますまで、リンも、さっきまでふたりで寝ていた瓦礫の上に寝転がっていた。エンヴィーはその傍らで、リンを見下ろすような形で座っている。
「腰だるイ・・腹へったァ・・」
いくら恨めしそうにボヤかれても、エンヴィーにはどうしようもできない。
「俺にどーしろっつーの? 腰でも揉んでほしいのかよ?」
「化けモンの重たい手なんザ腰に乗せられたら、腰椎が折れル。おおよそイラネー」
「あーそう」
「イーよナァ、化けモンは腹へってモ餓え死ぬこタァねーんだろーし、怪我してもすぐ治るシ、便利ダヨナァ」
「あのさぁ、化けもの化けものって、連呼しないでくれる?」
「気にしてんノ? 化けモンなのは事実ジャン」
「まぁ、そーだけどよ」
チェ、なんてぇ目してこっち見るんダヨ、化けモンのくせに。
視線が絡み合い、お互い何かを言おうとした瞬間に、エドが「うーん・・」と呻いて目を覚ました。ふたりは慌てて目を逸らし、エドはその気まずそうなふたりのリアクションにキョトンとする。
「あ・・おはよう・・もしかして、お邪魔だった?」
「お邪魔ってドーイウ意味ダッ!」
「なーにがおはようだよ!」
「な、なにも、ふたりしてそんなムキになって怒鳴らなくても・・」
その剣幕に、エドは半べそ状態だ。なにせエンヴィーなど、カッとして思わず再び、元の姿に戻ってしまったほどだ。
「あのさ・・もひとつ、脱出案があったんだけど・・」
「それヲ早く言エ!」
「言う前にボコボコにされたんだよ!」
「アーソウ。デ?」
「またしょーもねーことだったら、ただじゃおかねーからな」
そう言いながら、軽い殺気すら漂わせて、ふたりはエドを見下ろす。だが、折れた腕がいよいよ痛くなってきたのか、エドが脂汗を流しているのに気付いた。
「シャーネェなぁ・・ほれ、腕出しナ。せっかくのアイデアが吹っ飛んだら困るカラナ」
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