『篭の鳥』続編・夜明けの晩に |
![]() ■終章古典的な錬金術の、主なテクニックのひとつに「蒸留」というものがある。 例えば、ある錬金術師は生命のエッセンスを取り出そうとして、卵を何千個となく煮詰めては蒸留したという。それは、卵の中から雛が孵るという現象に神秘を感じ、その神秘現象を引き起こすエッセンスを取り出そうとしての実験であった。 その卵の代わりに、人体を使ってみたらどうなるであろうか。あるいは、生きた人間で試せば成功するのではないか。 ・・理論的思考がそこまで飛躍するのは、実に容易なことである。ただ、社会通念や倫理道徳があるために、簡単に実行に移せないだけで。逆に言うと、これらのつまらない心理的拘束から錬金術師らが解放されれば、当然、実行せずにはいられなくなるであろう。 その貪欲な知識欲、恐ろしい欲望は、前時代の錬金術師に限らない。 現代ですら、若さのエッセンスを取り出そうと堕胎児や胎盤が蒸留され、美容液となって流通している。真理の追究のために、多くの人間を犠牲にした彼らを、一体誰が責められよう? 本来の錬金術の最終目的は、その名の通りに金を作ることと、もうひとつ「人間を作り出すこと」である。 アメストリス国でそれが建前上禁じられているのは、単なる治安の維持、人道的措置等々の美名を借りた偽善でしかない。 「最近、機嫌が良いな」 食事を運びに来たエンヴィーに、マルコーはなにげなく、そう声をかけていた。 「ああ? 機嫌なんか別に良くねーよ」 そう切り返しながらも、エンヴィーが食事のトレイを載せるしぐさには、いつになく落ち着きがある。やっぱり機嫌が良いじゃないか・・とは思うが、あまりしつこく言って逆上すると何をされるか分からないので、マルコーは黙り込んだ。 スプーンを取り上げて、スープを口に押し込む・・ふと、目を上げると、エンヴィーがドアにもたれるようにして、こちらを見ていた。 「・・何か用かね?」 いよいよ、人柱として供される時期になったのだろうか? 覚悟ができているとは言い難いが、そろそろかもしれない・・という諦めに似たものは腹の底にあった。 「いや、アンタって、医者だったっけなと思って」 「は? まぁ、そうだが・・腹でも痛いのかね?」 腹痛かと反射的に思ったのは、エンヴィーの手が腹の辺りにあったせいだろう。 「そんなんじゃねーよ・・第一、人間の医者に、ホムンクルスを診れるわけがない」 「それもそうだな」 じゃあ、何かね・・とは、さすがのマルコーもあえて聞かない。情緒不安定で癇癪持ちの子どものような、この人造人間の性格は、監禁生活の中でイヤというほど思い知らされている。 「食い終わった頃に、皿・・グラトニーに取りに来させるわ」 結局、エンヴィーは何か言いたそうにしたまま、部屋を出て行った。 その後姿を見て、マルコーはふと、あり得ないことを思い浮かべてしまい・・いや、まさかと首を振って否定していた。 なぜとっさにそんなことをしたのか、自分でも分からない。学術的見地からの好奇心・・というのは、後付けの言い訳だ。 それに・・多分、成功していない。 自分にそんな能力がないことは、よく分かっている。 あり得ない・・絶対にあり得ない。 だが、100%あり得ないということもまた、あり得ない。 しかし、万が一それがあり得たとして・・一体どうするつもりなんだ? それすらも見えない。 お父様に知られたら、叱られるかもしれないし、その前にプライドやラースが何かと口喧しそうだ。これからの活動の足手まといになるに決まっているし、もしそうなったら、グラトニーも“天敵”になるだろうから、目を離せなくなる・・どう考えても、メリットは万にひとつもない。 そんな厄介なことになるぐらいなら・・さっさと処分してしまえばいいのに。 自室に戻ったエンヴィーは、お腹を抱えるようにして、寝台に座り込んだ。 処分は簡単だ。胎内に作りっぱなしになっている臓器を潰してしまえば良い。それは、エンヴィーの意志ひとつ、鼻歌混じりでできることだ。 だが、そこに意識を集中して破壊衝動を向けることが、どうしてもできなかった。いや、もし成功していたとしても、放っておけば流れてしまうだろうし・・そう、放っておけば。 だから、いつもは心臓の近くに設置している石を、その臓器の側に寄せてやっていた。自分の心臓の動きは多少鈍くなるが、もしかしたら石の力で・・何考えてるんだ、俺。 だから、メリットなんか無いんだってば。厄介ごとを増やすだけなんだってば。どうせ失敗するんだってば。自分が息苦しくなってまで、なんでそこまでしなくちゃいけねぇんだよ。 石造りの底冷えする部屋なのだが、爪先は仄かに熱を帯びている気がした。微熱でもあるのだろうか? 「エンヴィー、お皿さげてきたよ」 ぼんやりしていたら不意にドアが開かれ、エンヴィーはギョッとする。そこには汚れた食器を抱えたグラトニーがいた。 「そんなん、洗って片付けるぐらいできるだろうが。なんだよ、俺はおさんどんか!?」 「おさんどんって何? それ、おいしい?」 「食うもんじゃねーよ」 「じゃあ、ダメだぁ」 ダメって何がだよ、と脱力しかかる。いつもならこのあたりでキレて、グラトニーを吹っ飛ばすぐらいのことをするのだが、代わりに苦笑して食器を受け取っていた。 ラスト姐がいる頃ならいざ知らず、お父様やプライドやラースが家事などする由もなく、グラトニーやスロウロは極端に不器用で、召し使い代わりに使っている合成獣には、ある程度頭脳を使う高度な(?)ことは頼めない・・というわけで、消去法的にエンヴィーがやるハメになっている。 メシ作るのが面倒だからと、気が向くまで1カ月ぐらい放っておいたり・・という奥の手も、ここ最近は人質のマルコーがいるために使えない。まったく、人間ってヤツは厄介だ。そして多分・・もっと手がかかることになるだろうに。 「・・どうした? グラトニー。まだなんか有るのか?」 「ん・・分からない。おいしそうな匂い。見つけたら、食べていい?」 「はぁ? ここにゃ何もいねーぞ」 「ふーん?」 グラトニーが大きな鼻をふんふんと鳴らす。 「おまえ、最近、地上に遊びに行くこと多いから、体に人間の匂いをつけちまってるんじゃねーの?」 「おれの匂いじゃないよ? へんだなぁ?」 「知るか。ほれ、邪魔だ。のけ」 ただ、見せつけて受け入れるだけなら、そこまで必要はなかった筈だ。 その辺りにそれっぽい入り口を開けるだけでも、目的は十分に果たせる。いや、わざわざ作らなくても一カ所だけ、受け入れることが可能な器官があるのだし。 それどころか、膝を割りながら唇を重ねてくる男の体温、その重みを感じているだけで、めまいがしそうなほどの至福を感じていた。 だが、それを止めようと必死で呼びかけてくる鋼のおちびちゃんの声を聞いているうちに、そのしつこさに腹がたってきた。 「そいつはホムンクルスなんだぞ! 人間じゃねぇって、化けモンだって、おまえも言ってたじゃねぇか!」 悪かったな、人造人間で。 「・・じゃあ、ホムンクルスじゃなかったら?」 思わずカッとして、そう言い返していた。まさかエンヴィー本人からの反論があるとは思っていなかったエドが、グッと返事に詰まる。 「相手が人間だったら、彼が他の誰と寝ようと構わない? そういうこと?」 「そうなのか、エド」 俺への想いはその程度なのか?・・リンは多分、そう続けたかったに違いない。エンヴィーはそれを聞きたくなくて、リンのあごに指を触れると、もう一度キスをねだってみせた。 「そうらしいよ。あいつ、やっぱり焔のの方が好きなんだって。アンタのことは、どうでもいいんだって。相手が人造人間じゃなきゃ、誰でもいいんだって」 ささやきながら、何度も唇をついばみ、貪りあう。 その頃には、そうじゃないと叫ぶエドの声も、ついには涙で詰まって途切れてしまった。 もしかすると、エドが静かに、大人しくしていさえすれば、このまま抱き合っているだけで満足できたのかもしれないのに。 そして・・奥深くに受け入れた時に。思いついてしまった。 人間同士でも・・こいつらの間じゃ、ガキは作れねーんだよな、と。 以前、糸目のが言ってた、子どもを産めない相手ってのは・・このおちびちゃんのことなんじゃないのか? バカげた考えだ。狂っている。 だが・・もし、成功できたら、たかが人間に、一矢報いてやれると思わないか? 俺らには、あり得ないことはあり得ないんだ。 胎内に取り込まれている数十数百・・いや、それ以上いるかも知れない連中が、胎内で口々に喚いている。エンヴィーの中の石の辺りから、そいつらが徐々に熱で溶かされ、煮詰められていった。それはやがて、質量保存の法則を無視して凝集していく。 「ナッ・・身体ン中デ何やってんダ、オマエ・・なんか、スッゲーイイ・・もう・・イってイイダロ?」 「待って・・ちょっと・・も少し待って」 「だってオマエ、前みたいに、中の連中に体乗っ取られる前ニ、サッサとイかねート」 「頼む、もう少し・・あと少しだけ待って」 それでも次々と沸き上がる、ざわざわと体内で快楽を求める声・・確かにこのままでは、いつ身体を乗っ取られてもおかしくない。寄せては返す波に揉まれて、いっそすべてを手放して流されたくなる衝動に駆られていた。だが、シャツの胸にしがみつくようにして(思い切り腕を回して、抱きつけたらいいのに・・本体が大きすぎるから、この体が重すぎるから、それすら思うようにできない・・)ぐっと耐えて意識を繋ぎ留め、下腹部に意識を集中させる。 こんな・・もんかな? なんとか揺り篭を編み上げ、息をつく。 「・・も、いいよ」 そして・・時間が停まった。 一瞬、失神していたらしく、軽く頬を叩かれて、我に返った。 「ま、こんなモンで、オマエが死ぬこたァねーンだろーケドヨ」 照れくさそうに言いながら、見下ろしている。体を引いてずるりと抜け出されて初めて、まだ繋がっていたのだと気付かされた。熱いものが胎内いっぱいに満ちている。溢れた分がどろりと入口からこぼれて、太股を濡らした。 いつもの姿に戻ろうとして、視界に入ってくる自分の前髪が、黒く長いストレートなのに気付く。 「あれ・・元に戻っちゃってた?」 「ン? アァ、途中カラナ・・多分、アノ最中っテ、力がコントロールできナクなるンだろーナ・・前みたいニ、突っ込んでル穴まで塞がって、食い千切られたラ、ドーしよートカ思ってはらはらしタケド」 「そいつは悪かった・・それにしても、よく俺の顔見ながら、イけたねぇ」 「そーいうソッチもダロ? 失神するホド、ヨかっタ?」 普段なら逆上しそうな冷やかしだが、なぜか腹は立たなかった。 「まぁね」と平然と切り返すと、かえって相手は度肝を抜かれたようだった。 「なぁ、俺らって相性、悪くねーと思うよ。どう?」 「どうって・・どういう意味ダヨ」 「別に。どうかなーと思って・・スッゲーイイとか言ってたから」 「あン? まぁ・・さすが化けモンつーカ、フツーじゃネー感触ダかラ・・ソノ、なんつーカナ・・女のソレより締まるくせニ、妙にグニャグニャ動くシ、やっぱ化けモンダケド・・デモ確かに、気持ちヨかったゼ」 そんなにいちいち律儀に、化けモノ呼ばわりしてくれなくてもいいのに。 一応、忠実に再現していたつもりなので、内側が蠕動していたのは多分、その奥を加工していた影響だろう・・だが、そう言い訳することもできなかった。 リンが立ち上がって、ズボンを直している。シャツの胸元のボタンが弾けて裂けているのは、エンヴィーが無我夢中でしがみついて破いてしまったからだろう。 それを何気なく見上げていると「何スネてんダヨ。仕方ナイジャン・・ヘンなヤツ」と、頭を撫でられてしまった。 「いつまでもソコに座られテット・・オマエ、コート踏んでるシ。どいて、ホラ」 このまま黒コートの上に座っていたら、ずっと、ここに居てくれるのだろうかなんて、馬鹿なことをふと考えていて。 骨太で、指の長い手で・・髪をすくように撫でながら・・エンヴィーは皿を洗いながら、そんなことを思い出していた。 あんなふうに他人に触れられたのは、一体どれぐらい前だったのだろう? 賢者の石を埋め込まれて、人造人間化する前?(そんな頃があったのだろうか、俺に?)・・少なくとも記憶にある、永い永い間、誰かに抱かれたことなんて無かった。もちろん、ウエイトの関係上うかつに人間と抱き合うと、押しつぶしてしまうかもしれないという物理的制約があったことも、理由のひとつなのだろうが。 今思えば、その行為にずっと恋焦がれていたのかもしれない・・自覚したことはなく、その欲求は破壊的な衝動にすり替えられて爆発していた。叩き壊した町並み、その廃墟、ひねり殺した人間、そいつがイキモノからモノに成り下がった醜い肉塊・・それらを目の前にしても、自分の内部でくすぶる炎は昇華することがなく、再びの爆発を待つマグマとなって、腹の底にわだかまり続けて。 その不機嫌な熱を、なぜか今は感じない。 司っている大罪からも解放されたような・・そんな気分。 多分、あんなことはもう二度と無いだろう・・そろそろお父様の計画が大詰めに入る。ターゲットを北に据えて・・だから糸目のと遊んでいるヒマはない。 それどころか、糸目のごと、この大陸を吹っ飛ばすことになるかもしれない。それでも、もう、構わない。 鼻歌混じりで皿を片付け、ふと戻ろうとした時に、ラースが立ってこっちを見ていることに気付いた。 「うわっ! 驚くじゃねぇか! なんの用だよ?」 「ふむ。私に気付いていなかったのか・・よほど、ぼんやりしていたのだな」 「ぼんやりなんかしてねーよ。なんの用だ? 腹でも減ったのかよ? てめぇの分はねぇよ。地上で嫁さんにでも作ってもらえや・・はい、どいてどいて。邪魔だよ」 押し退けるようにして、キッチンを出ようとする。その瞬間に・・ラースの右手が動いた。 「げっ! あぶねーじゃねーか!」 とっさにしゃがみ込んで避けたものの、エンヴィーの髪が幾筋か、ラースの長剣によって切り取られて、ぱさりと床に落ちた。 「なに、なんだよ、唐突に!」 喚きながら、体勢を立て直す。ラースは剣を両手に構えていた。冗談で斬りかかったのではない証拠に、その表情は険しい。 「何考えてるんだ? おい、よせ!」 第ニ波が襲ってきて、こちらも辛うじてかわす。背後の壁がスパッと切り落とされ、棚が倒れた。悲鳴のような食器の割れる音・・あーあ、どうすんだよ、明日からメシ何に盛るんだよ。瀬戸物市は来月だぞ・・とっさにそんなことを考えていたが、もちろん、そんなツッコミを悠長に入れている場合ではない。 「ばっ・・ばかやろー! てめぇ・・!」 本性を露わにすれば反撃できるはずだったのだが、なぜか、そうしようという発想は浮かばなかった。ただひたすら、転げるようにして刃を避けていた。 頬や肩口が切り裂かれ、血飛沫が飛んだ。 「・・何を庇っている?」 「はぁ? 庇ってなんか・・」 「うっとおしい気配がする。それは、我々には必要ないものだ」 言われて気付いた。自分が、無意識のうちに、片腕で下腹のあたりを庇っていることに。 まだ、それが根付いていると明らかになった訳ではないのだが。 「あんたにゃ関係ない」 「エンヴィー。力を使わないのか? それとも使えなくなったのか?」 「なんだと・・!」 確かに、心臓から離れた位置に石があるせいで、この姿で逃げ回っているだけで息苦しい。ましてや、力を全開にして反撃など、今の状態ではできそうになかった。 このままでは、死ぬまで何回でも何十回でも嬲り殺しにされる・・こいつはそこまでやるヤツだ・・グリードを倒したという時の話を思い出して、ぞっとした。 少しの間だけ、待ってろよ・・ちょっとの間だけ、使わせてくれな。すぐ返すから。 誰にともなく腹の底に呼びかけ、剣の先が届かない程度まで距離を置くと、壁に背をつけるようにしてなんとか立ち上がった。下腹から胸へと熱い塊を持ち上げていく。ざわざわと囁く内側の連中を封じている力を緩めてやると、エンヴィーの全身の肌の下で、筋肉がまるで別の生き物のように脈動し、蠢いた。 「力を・・使ってほしいんだな? 俺の真の姿を見たいと・・」 身体が膨れ上がっていく。幼いとすらいえる人間の顔が、トカゲとも狼ともつかない裂けた口のケダモノのものへと変化し、牙を剥いた。 「挑発したのはそっちだからな。引くなら今だぜ?」 「まだ猶予を与えようというのか。甘いな。その卵のせいか?」 「たっ・・!」 一瞬、頭の中がグラッとした。 あり得ないことは・・あり得たのだろうか? だがその隙をついたように、エンヴィーの変化が完全に済む前に、ラースが駆け込むように懐に飛び込んできて、長剣を一閃した。 「っ・・ごぁあああああっ!」 エンヴィーは腰の辺りで両断されていた。賢者の石に守られていた上半身は辛うじて残り、切り捨てられた下半身が、サラサラと燃え尽きた灰のように崩れ始めていた。 「てっ・・てめぇ・・!」 両腕でいざるようにして、這い戻ろうとする。だが、エンヴィーよりも早く、ラースがその灰の中から、レモン大の白乳色の内臓を拾い上げていた。 「これか?」 「ぐっ・・返せよ・・あんたにゃ関係ねぇもんだよ」 「人体錬成には興味がある。お父様に検体として献上したら、喜ぶかもしれんな。しかし・・この気配は、私にはどうにもうっとおしいのだよ」 ラースの指の間から、血とも体液ともつかない汁が滴っていた。握り潰しているのかもしれない。 「よせ・・やめろ!」 「グラトニー。この匂いだろ?」 ラースがふと、廊下にむけてその臓器を投げ付けた。壁にぶつかった臓器はビチャッと音を立てて、完全に潰れた。 グラトニー? 匂い? そういえばさっき、そんなことを言っていた。おいしそうな匂いがするって。 「そうそう、これ。食べていい?」 「好きにしろ」 「ラースッ! てめぇ、グラトニー・・!」 「・・そう、その瞳だ。ホムンクルスたるもの、そうでなくてはな。あれは、我々には必要のない感情だ」 その感情とは・・ここ最近の、エンヴィーの穏やかな精神状態のことだろうか? 七つの大罪をも全て包み込み、許してしまいそうな・・盲目的な甘い感情。 「お父様の許可が出たら・・いや、出なくても、いつか絶対に殺してやるからな。覚えとけよ」 「ふむ。ますます良い顔になったな」 嘲るように笑う。ふと、思い立ったようにきびすを返してエンヴィーに歩み寄ると、まだ下半身が再生されておらず、両腕で辛うじて上体を起こしている状態の彼の元に片膝を付いた。 「色欲が死んで、おまえがその罪悪を引き継いだのか? いや、嫉妬は元々、色欲に近い性質のものなのか? だが、寄りに寄って・・というものがあろうに。身体がうずくのなら、可愛がってやるぞ?」 「ふざけんな!」 「殺意もまた、色欲と嫉妬によくあう感情だな。そうでなくては、な」 ラースはエンヴィーの頬を軽くぺちぺちと叩きながらそう囁くと、立ち上がって出ていった。 「ラースぅ、お代わりはぁ?」 「そんなもん無い」 「おいしかったのにぃ」 グラトニーは、壁や床に飛び散った汁まで舐め回したらしく、廊下がぬめぬめと光っていた。ラースは露骨に嫌な顔をして、その唾液の痕を踏まないように避けて歩く。 エンヴィーは、遠ざかるふたつの足音を聞きながら、下半身の再生をも諦めたかのように、その場にぱたんと突っ伏してしまった。 翌日のマルコーの朝食は遅かった。ほぼ昼飯ぐらいの時間になって、ようやく見慣れない青年が届けに来てくれた。 「お待たせて申し訳ない」 爽やかな笑顔に上品な物腰。彼もホムンクルスなのだろうか? ここにいるからには多分、そうなのだろう。 「エンヴィーは具合が悪いそうです。お恥ずかしいことに、他に料理ができる者がいなくてね・・仕方ないから、ラースの奥さんに頼んだです。大総統夫人の手料理、ありがたぁく頂くんですよ?」 「具合が? どうかしたのかね?」 思わずそう尋ねたのは、医者としての性もあるだろうが、昨日のエンヴィーの様子が気にかかっていたせいもある。 「さぁ・・さすがのホムンクルスでも、お腹を壊すことぐらいあるみたいですね。医者は要りません。放っておけば治ります」 「そ・・そんなもんかね。その・・昨日ふと思ったんだが、まさか、その・・つわりとか」 「つわり? まさか。我々ホムンクルスに、子どもが産めるわけないでしょう? もし仮に・・できたとしても、放っておけば流れてしまう」 マルコーが「そうかね・・」とつぶやいてトレイを受け取り、机に載せた。 しかし、青年はそれを見届けながらもその場に佇み「もっとも、そうやって新しい命を造り出すことが、本来の錬金術の最終目的なんだけど、ね」と、ぼそっと口にした。 フォークを取ろうとしたマルコーの手が止まる。 「本来の錬金術の最終目的?」 「そう。しかし、お父様が最初に作った女は生殖能力に欠け、人体錬成のための生きた練成陣となる筈だったヤツも、本物の真理の扉とは程遠い出来だった。ならばと普通の人間に賢者の石を埋め込み、人造人間化してみたものの・・それは人間により近い“老い”を持った人造人間に仕上がったものの、常人離れした能力と引き換えに、やはり生殖能力を失った」 「・・キング・ブラッドレィか」 「そして、エンヴィーは多くの人間を取り込んだ坩堝で・・それらの人体と魂を煮詰めて、命のエッセンスを蒸溜させる過程で止まってしまった失敗作だ。でも、その本来の反応を・・自身の力で完成させることができたのなら」 「その・・やはり診てやった方が良くないかね? 産婦人科は専門外だが、小さな村に居たから、一通りは分かる」 「あなた、本当にお人好しなんですね。それが何を生み出すことになるのか、ご存知で言っているのですか? 人造人間が繁殖することが可能になれば・・現存する人類を完全に凌駕し、駆逐することになるんですよ?」 「いや・・それはそうだが、その・・しかし・・」 「ご心配なく。既にその必要はありません。どうにも子ども嫌いなヤツがいましてね。困ったものです・・それよりも、召し上がらないとお食事が冷めますよ、ドクター? 食器は、後で誰かに取りに来させます」 青年はやや芝居がかった優雅なしぐさで一礼すると、出て行った。 扉が閉じると、鍵がかけられる重たい音がした。 |
FINE |
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【後書き】ここまでおつき合いくださった方、ありがとうございました。読み終わって後悔してませんか? かなりえぐい話になったので、ちょっとハラハラしています。 あと、プライドが傷心のエンヴィーを陵辱・・なーんてのも考えていたのですが(この後、プライドがエンヴィーの見舞いに行って・・って流れで)、あまりにもエンヴィーが可哀相なので、やめました。ごめんちゃい(・・誰か書いて。あと、リンとエドがこの後どーやって仲直りしたかっていうイチャイチャ話とか)。 なんで、ここでプライドが登場かっつーと、このストーリー上で、リンがエンヴィーのことをどう思ってるのか、イマイチつかめなくて・・で、後輩の紺ちゃんから高飛車で「情けをかけてやる」的なリンっていう、妄想するだけでおかずなしで丼飯もりもり食べられそうなアイデアを頂いたのですが、いざ書いてみようとすると・・やっぱりうちのリンってお人好しだよ・・orz で、代わりにその役割をプライドに肩代わりさせたってワケ。いや、ラースでも良かったんだけど、ラースって子ども嫌いだから、あそこのシーンで容赦なく“処分”すんのは、やっぱりラースだと思ったし・・だったら、情けをかけてやる側は、消去法でプライドって訳で。 ・・えーと。鼻歌混じりで皿洗いしてるシーンのエンヴィーが、幸せそうでお気に入りです。なんつーか、シングルマザーっぽくて、カワイイ(笑い)。 |
初出:2005年11月23日 誤字訂正同月24日 一部改訂&トップ画像差替同月27日 |
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