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Kitten & Puppy 1


“次の実験場”で、ロイ・マスタング少佐はあの大柄な青年を見つけた。
確か、死にかけの子犬を抱いて、ノックス医師のテントに駆け込んできた・・ジャンなんとかという名前の。

医薬品も底をついていて手の施しようがないと思われたが、ノックスが傷口を焼いて塞げと言い出し、言われるまま子犬の背を焼いて・・子犬には醜いケロイド状のハゲ痕が残ったが、とりあえず命だけは助かったようだった。
補給を断たれていて、食糧が足りないとかで喰うつもりで拾ってきたくせに、いざその子犬が死にかかるとパニックに陥ったりして、なんか面白いヤツだな、と思って・・そのまま忘れるはずだった。




今回は賭けにでも勝ったのか、調理当番ではなかったようだが、足下にあの子犬がまつわりついているのは、変わらなかった。爪先で子犬をあやしてやりながら、銃器の手入れをしている。

「喰わないのか?」

冷やかしてやると、一瞬意味が分からなかったようだが、やがて思い当たったらしく「こんなに育っちまったら、もう、肉も硬くてうまくないと思いますよ」と受け答えた。
だったら何故、連れ歩いているんだろうと思った。こんな大柄な男が、育ち盛りの犬なんぞと食事を分け合っていては、とてもじゃないが腹がもたないだろう。それでも笑顔で子犬と遊んでいるところをみると、この男は相当人が好いか、ただのバカか、どっちかに違いない。

「貴様、こんなのを養っていたら、腹が減るだろう。仕官待遇は下士官よりも一、ニ品多い。たまに食いに来い。分けてやる」
「えっ? いいんすか?」

心底嬉しそうにニコッと笑われて、冗談で言ったつもりのロイも、少しぐらいなら本当に分けてやろう・・という気になった。

「ただ・・そうだな、タダでというわけにはいかんな。何か、等価交換できるものがあれば」
「ええっ? 何だろう? 何と交換ならいいんすか?」
「知らん。考えておく」





実際には、すぐにジャンなんとか・・という青年がメシをたかりに来た訳ではない。やはり冗談だと思ったのか、それっきりになっていたのだ。
それに、今度の現場はなかなかの激選区で、ロイは毎日のように大量の“人間ステーキ”を焼くのに忙しく、下士官をからかっている余裕など無かったというのが正直なところだろう。

ただ、焼け死んでいく断末魔の悲鳴や苦痛の表情が脳裏に焼き付いて、食欲がなくなったり眠れなくなったりしているのを、ノックスのテントに入り浸ることで癒すのが精一杯で。


そんなある日、いつもの通りノックスのテントに向かうと、中の荷物が妙に片付いているのに気付いた。いつもそれなりに几帳面に片付けられているが、それ以上に殺風景な感じがする。

「ああ、来てたのか。これ、2週間分な・・ちょっとの間、セントラルに戻る」

やがて戻ってきたノックスが、薬品庫からロイのために予め用意していたらしい小ビンを取り出して、手渡そうとした。

「休暇・・というわけでもないが、家内が倒れたって電報が入ってな。一応、10日ぐらいで戻る予定だが・・その間、代理の軍医は来るが、おまえさん・・その、あんまり他人にゃ頼みたくないだろう?」

家内・・と聞いて、ロイの表情が凍った。ビンを受け取ろうとした手を引っ込めて、視線をそらす。
・・ヒューズは結婚するから別れようなんて言いやがって、ノックスは奥さんなんて全然気にしてない様子だし、どうせ遠くに住んでいるわけだからいいやって思ってて、そりゃあヒューズだってあの女とは今は離れてるわけだけど、それでものろけ話とかしていつもあの女のことを考えてるわけだし、ノックスから奥さんの話なんて聞いたこともなかったから、夫婦仲が冷めてるってほどでもないだろうけど、別に気にしなくても構わないんだろうって思ってたのに・・そりゃあ、そんな電報が来たら気が気じゃなくなって飛んで帰ってやりたいという気持ちは、人情としては分かるけど、理解しているけど。


・・でも、嫌だ。


「あのなぁ。拗ねるなよ。その・・まぁ、倒れたと言っても大したことないだろうから、すぐ帰れるから」
「大したことないなら、行く必要ないだろう」
「そういう訳にもいかんだろうが。子どもみたいな駄々をこねるな。イシュバールの英雄だろうが」
「そんなのは、他人が勝手にそう呼んでるだけだ。知らん」
「じゃあ、要らないのか?」

ノックスが小ビンを振ってみせた。カラカラと錠剤が鳴る。一見、興味がなさそうな表情をしているくせに、視線はその動きを追っていて、どこか猫のしぐさに似ていた。

「要らないんだな?」

片付けようとするのを、ロイがひったくる。
ノックスは、薬さえ渡せば用はないとばかりに、おもむろにロイに背を向けて荷物の整理を始めた。まだ大量にカルテが残っている。人体実験の結果が記されているために残しておけない分と、残しておいて交代の軍医に託す分とを仕分けしなければいけない。

「あの・・」
「なんだ? まだ何か用か? ああ、土産ぐらいは買ってきてやるから・・何がいい?」
「そうじゃないけど」
「よせよ、いちゃついてるヒマはないぞ。あと2時間もしたら、交代の軍医が到着するし、それまでにこいつを片付けておかねぇとな」
「・・他人じゃないんだろ?」
「は?」
「代理の軍医は他人ってことは、貴方は他人じゃないんだろ?」
「ばか、そういう意味じゃねぇ」

首筋にそっと絡み付いて来るしなやかな腕を払い除けながら、ノックスはバサバサと書類の束を茶封筒に放り込んだり、ファイルに挟んだりする。そのうちに面倒くさくなって、ロイに絡みつかれるまま放っておき、背中にべったりと抱きつかれた状態で、作業を続ける。

「・・10日だな?」
「まあ、薬は2週間分あるから、心配するな」

持ち帰る分の封筒を黒い革カバンに押し込んで、ほぼ荷造りを終わらせた。残っているのは、寒々しい簡易ベッドと妙にすっきりしたデスク、そして医薬品が詰まった木箱だけだ。

「さぁ、もう帰った帰った」
「まだ交代がくる時間じゃないだろう」
「いいから、帰るんだ」

ノックスがきつい口調で追い返そうとするが、ロイは一向にこたえる様子もなく、じゃれるように耳たぶに噛みついてくる。こんなヤツと長年付き合ってたなんて、あの眼鏡のにーちゃんは相当、堪忍袋が丈夫だったんだな・・と、ノックスは妙なことを感心していた。






だが・・10日経っても、ノックスは帰ってこなかった。奥さんの容態が悪かったのか、それとも何か別の事情があったのか。

「まぁ、任務があるんだし、必ず帰って来るんだから、そうイライラしなさんな」

ヒューズがそう優しくなだめるが、逆効果だったのか、ロイは片眉を吊り上げてじろりと睨みつけたきり、返事もしない。
ヒューズは肩をすくめて、それ以上は障らぬ神になんとやらで、おとなしくテントを出るしかなかった。





「すいません・・マスタング少佐のテントって、ここっすか?」

唐突に話しかけられて、ヒューズはキョトンとする。目の前には大柄な青年が居て、その足元には子犬がじゃれついている。

「え? ああ、そうだけど?」

青年はかなり顔色が悪く、げっそりとやつれた様子だ。そんな下士官がロイに一体何の用だというのか、ヒューズは心配になった。一緒に行こうかと言いかけたが、今テントを出てきたところで即舞い戻れば、ロイがどんなかんしゃくを起こすか、分かったものではない。

「その・・今はあまり、タイミングが良くないと思うぞ?」

さすがに、今はご機嫌ナナメだからとか、拗ねてるからなどという言い方はできない。

「ダメならいいんすけどね、その・・ダメモトで」

ますますアヤシイ・・と不信感丸出しのヒューズの冷たい視線を知ってか知らずか、青年はよろよろとロイのテントに入っていった。







「あの・・実は・・」

青年はジャン・ハボックと名乗ってから、言いにくそうに「メシを分けてくれるって、前に言ってたから・・」と切り出した。

「ああ、そんなこと言ってたな」
「ベンのヤツ・・いや、こいつ、ベンジャミンって言うんですけどね・・俺のメシ、全部食いやがって・・勝手に食わないように気をつけてたんすけど、こいつヘンに賢くて・・もう3日連続でやられて、ブレダとかもちょっとずつ分けてくれたんですけど、足りなくって・・」

そういえば、食事の時間だった。ベンジャミンなどとご大層な名前をもらった子犬は、飼い主の懊悩を知ってか知らずか、相変わらず上機嫌だ。

「そんな犬ころを飼ってるからだ。食っちまえ」
「そういう訳にはいかないでしょうが」
「なんなら、私がステーキにしてやろうか?」
「できませんよ!」
「ふん・・で、対価は?」
「その・・考えてませんけど・・」
「ふうむ・・」

ロイは八つ当たり気味に相手をしていたが、ハボックがいちいち本気で反応するのが面白くて、悪戯心がわいた。





「じゃあ・・私を抱いてもらおうか?」




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