連環〜Chain |
3. 方舟の行く先
いや、いっそこのまま、すべて滅んでしまえ・・そう思う気持ちがひょいと頭をもたげ、まるで癌細胞のように猛烈な勢いで膨れ上がっていく。手を伸ばせば、たとえ大都市の建物であろうとも、まるで紙のように脆く捲れて、あっさりと崩れていった。 |
「ねぇ、パパ。この模様はなぁに?」 「ああ、それは・・お前のママの印だよ。ママは・・大いなる蛇だったんだ」 「ふうん? でも、アタシは蛇じゃないのに」 少女は不思議そうに、自分の手首に刻まれたウロボロスの刻印を眺める。 「お前が・・別の世界を結ぶ輪になるんじゃないかという気がしてね。 グラトニーでは失敗したが・・」 「輪?」 「ああ、リングさ。その蛇も輪になっているだろう? そうやって、世界は繋がっていくんだ」 暖炉の横でくつろいでいたホーエンハイムはそう言うと、 養女を膝に抱き上げてやった。 |
どれぐらい時が経ったのだろう、今のリンにとっては、時間などはほとんど意味のないことだったが・・やがて、暗闇の中、仰向けに倒れている、ちっぽけな自分の姿を見つけ出す。 自分の姿を見下ろすというのは妙な感覚だったが、レイだと仮定して見れば、それほど違和感も無かった。ともかく“彼”を起こすべきなのだと、リンは考えていた。 多分・・グラトニーに飲み込まれ、あの森からこの空間に引き込まれた時のショックで、自分の魂と肉体を結び付ける・・アルの血印のようなものが、外れてしまっていたのだろう。その影響で、自分の精神はいくつかの並行世界を点々としたらしい・・つまり“彼”が“赤の王様”って訳だ。 リンは“彼”の襟首を左手で掴んで持ち上げると、まずは軽くペチペチと頬を叩いてみた。“彼”の痛みが自分にも伝わるのではないかという、根拠のない恐れが脳裏を過って、一瞬リンをためらわせたのだ。 だが、自分の頬には何の感触もないのを確かめると、今度は思いっきり右手を振り上げて平手打ちした。 『・・つっ・・』 多分、“彼”が目を覚ませば、自分は消え去るのだろう。 “彼”・・リンが小さく呻いて、眉根を寄せる。夢うつつのまま片手が動いて、なかなか開かない目蓋をごしごしとこすった。眼球が醜く膨れ上がっているのではないかと、一瞬恐れたが、触っている感触にいつもと変わった様子はなかった。 だが、例えこのまま消えても・・自分の進む方向ぐらいは知っておかないとな。 『いってぇ・・』 目を開けて起き上がる。視界は歪んでおらず、クリアだった。 見渡せば、いつぞやエンヴィーに切り刻まれた・・そして、2つの石による破壊の起点ともなった・・あの血の海の中に居たが、あの時と違って今度は五体満足だった。 何も無いように思えた暗闇だったが、こうして落ち着いて見ると、いろんなガラクタが散らばっている。リンは何か使えそうなものはないかと、周囲を見回してみた。 『人骨・・か。こんなとこで朽ちた人には申し訳ないけど、せっかくだから、もう一働きしてもらおうかな?』 リンは血なまぐさいヘドロに半分手を突っ込み、白い棒を引っ張り出す。これなら、松明として十分使えそうだ。喰えそうなものは・・無いな。 取りあえず、一緒に飲み込まれたエドを捜すとするか。 「誰かいないかー! アルー! グラトニー! バカ王子ー!」 ああ、いたいた。捜すまでもなかったか。リンはそちらに向けて歩き出そうとして、足を取られて尻餅をつく。 『あだだだ・・ドジった・・』 痛みに思わず目を閉じて・・そして開くと、まったく別の場所に居た。 「おはよ。気分どうよ? まだ熱っぽそうだけど・・大丈夫か?」 明るい室内・・多分、エド達が泊まっているホテルだろう。兄弟で1つずつ使っているシングルベッドをくっつけた即席のダブルベッドで、自分とエドは全裸に毛布をかけただけの格好で寝そべっていた。 「オ・・オハヨ・・アレ、エド・・?」 「おう。よく寝てたみたいだな」 「オレ達・・森でサ、あの肉団子の腹ン中に飲み込まれテ、真っ暗闇の・・アレェ?」 「何言ってンの?」 「夢? いや、マサカ・・ああ、他の皆ハ?」 「ああ、アルか? アルは買い物行っててさ。リンが熱出してるから、ちょっと果物でも買って来てって言ってあるんだけど・・でもさ、果物市って明後日なんだよね。多分、町中捜し回ってもそうそう見つからないはずだから、当分帰って来ないと思うぜ?」 「ア・・そうナンダ」 リンは無意識に、片手を胸に当てる。平たい男の胸だ。手を滑らせた腹に新しい傷はなく、腹腔にも妙な気配はない。もちろん、鱗や触手など体のどこにも生えておらず、まさしく人間の、自分の身体だった。 その仕種の意味をどう捉えたのか、それを見ていたエドが苦笑する。 「ちゃんと、男に戻ってるだろ?」 「エッ・・ああ、オレ、また、女に化けてたンダ?」 「うーん、最近ちょっと多いよな。まぁ結局、こうやって元に戻すのも、対処療法でしかないからさ。早いとこ賢者の石みっけて、根本治療に取り組まないとな。それまでは、俺がおまえを護るから・・リンがこんな身体になっちまったのは、俺の責任だから、最後まで面倒みる。約束する」 「そのセリフ、もう何回モ聞いたヨーナ気がすル。護ってヤル、護ってヤルっテ」 「何十回でも何百回でも言ってやるさ。それぐらい好きだってこと、いい加減に信じてくれる?」 エドはそう言うと、片手を伸ばしてリンの髪に触れた。愛おしげに、指先にリンの長い黒髪を巻き付けて弄ぶ。チビが意気がりやがって・・と、リンは苦々しく思うが、言えばエドが逆上することは分かっているので、胸の底に留めておく。 「そういえバ・・今日は何年の何月何日ダ? できレバ、ここ数日の動向も確認したイ」 「えっ? 何年って・・アメストリス歴でいいの? 唐突にどうしたんだ?」 「イヤ、実は・・ちょっト時間軸が狂ってルというカ・・色んな夢を見ていたんダ。シン国に帰ってからの夢トカ、まったク別の世界ノ夢トカ・・スゴク長い長い間・・ネ。デ、記憶があやふやになっててサ」 「ふうん。まったく別の世界って? どんな?」 エドが好奇心を刺激されたらしく、黄金色の瞳をクリッと動かした。騎士気取りの本人の意気込みとは裏腹に、その表情は少女のように可憐だ。 『オンナに化けるのが、エドの方だったら良かったのに』と毎度のことを思いながら、リンは苦笑する。 だが・・どの世界のことを話したら良いのだろう? 自分が男に戻れなくなって楼閣に幽閉されているとか、人造人間に手足を切り刻まれているとか・・最後には人間の姿ですらなくなり、翼のある竜と化して世界中をめちゃくちゃにしたなんて、とてもじゃないが話しようがない。 それとイウライ・・イウライのことは、さすがに気になった。我が子を託したあの男は、誰だったのだろう? だがこの様子では、この世界では、あの子はまだ産まれてすらいないのだろう。この俺が、レイの子どもを産んだなんて聞いたら、エドはきっと、腰を抜かすだろう。可愛いんだけどな。小さい頃の俺らにそっくりで。 ああ、そうだ・・ちょうどいい話があった。 「エッと・・オレは、ある貿易港の街外れにある、大きな館の女主人デサ・・」 「女主人って・・おまえ、女なのか?」 「ウン、その世界ではネ。デモ、美人だったゾ」 「ああ、美人だろうさ。しかもグラマーなんだろ?」 「バカッ・・デサ、その世界デハ、ブロッシュさんがうちの執事ナンダヨネ。小間使いでランファンも居たシ・・ああ、シェスカさんもいて、よく食器を割ってタ」 「ブロッシュが執事ィ? 似合ってる! 面白いな、それ・・んで、俺は?」 そう言えばエドは居なかったな・・と思うが、居ないと聞けば、エドが拗ねることは明白だ。 「エドは・・エドは、オレの旦那サマ!」 「マジでぇ? ってことは俺達、そこじゃ結婚してるワケ?」 「ンーそうみたいヨ。しかもスンゲー金持ちでサァ・・館も広くて・・中庭には噴水があってサ」 まさか、実はロイと結婚していました・・とは言えるわけがないから、そのキャスティングはちょうど良いと思われた。その嘘に、エドはすっかり上機嫌になって、リンの髪をクシャクシャにして「おまえってさぁ、ときどきすんげー可愛いことを言ってくれるよなぁ」と、ニヤつく。 「いいかもな、そーゆー生活も。俺もその世界に行ってみたいな」 「わざわざ行かなくテモ・・この世界で結婚したらイイジャン」 「え?」 「エドがオレの嫁になればイイ」 「えーっ、リンが嫁の方が断然いいって! グラマーだし、美人だし!」 「だってオレ、皇帝にナルんだモン」 「ああ、そういえば、そっか」 エドは妙なところで納得しながら、リンの腹の上に乗るようにして身を重ねると、自分がさんざん乱したリンの前髪をかきあげてやり、おでこにキスをする。リンはそのエドを見上げながら、両手の指でエドの金髪をすくと、髪留めを外して三つ編みをほどいた・・エドの髪を下ろしている方が、断然リンの好みなのだ。 「オレと結婚したラ、エドは皇后陛下ダヨ。皇后ハ、家事とか一切しなくてイーし」 「ばぁか、その前に賢者の石を手に入れなきゃいけねーだろ!」 「ウン。それは分かってル。オレの行き先はソッチだカラ・・デモ、オレはエドとズーッと一緒がいいカラ・・一緒に賢者の石ヲ捜そウネ?」 エドは乱れた髪が煩わしいのか、濡れた犬のように首を振った。その仕種も色っぽくていい。 リンはエドをそっと抱き取り、身体の位置を入れ替えた。エドもいつになく素直に、リンの背中に手を回してくる。そして。 「たっだいまぁっ! 兄さん、ようやく見つけたよぉ、リンゴ! どの店も品切れでさぁ、隣の街まで捜しに行っちゃった!」 唐突にガチャッと勢い良く扉が開くと、アルの声が割り込んだ。ギョッとして見れば、両手いっぱいに紙袋を持ったアルフォンスの鎧姿の後ろに、ランファンまで居る。エドとリンの血の気が引いた。 「にっ・・兄さんっ、リンっ! なっ、何やってンの!? ど、どどどどど・・どーいうことぉ!?」 「あっ、あのっ、アル、実はこれは・・っ、そのっ!」 「・・リン様、不潔」 思わず荷物を取り落として茫然としているアルと、柳眉を逆立ってすさまじい形相をしているランファンを前に「悪夢ダァ・・ドーカ、今度も醒めてクレェ」と、リンは頭を抱えたが、どうやら今回の世界ばかりは、夢として消えてくれそうになかった。 もし眠っても・・同じ世界で、前日の続きの今朝を迎えるに違いない。根拠は無いが、それは断言できる。 多分、今のこの、自分の肉体が朽ち果てるその日まで、ずっと。 それに・・この世界のエドとは、なんとか仲良くやっていけそうだし。 いつか、この世界でもイウライを産むことはあるのだろうか? いや、あの子は別の形で生を授かるだろう。きっと、幸せな家庭で・・そう信じたい。 だったら・・とりあえず今は、怒り狂っているランファンとアルフォンスをなんとかなだめなくちゃな。 リンは気を取り直すと、ふたりを納得させる言葉をひねり出すべく、頭をフル回転させ始めた。 |
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【後書き】あ・・あははははは・・今回、すんごく楽でしたっ! 元々がSF畑の人間なので、リンが人間の形態を失っていく辺りから、書いてて楽しくて楽しくて楽しくて・・(ヲイ)。イメージが勝手に暴走していった感じです。 あと、気付いたんですが「女体化したリンが帰国した後、レイに帝位を奪われて性奴にされる」ってストーリーは、私と葉紅龍さんの間ではデフォルト設定になっていたのですが、自分が書いたシリーズを読み返して、まだそれって作品化されてなかったじゃん・・ということに、今さらながら気付きました。 だから『やましい農村・女体別館』でしか当シリーズに触れていない方は、冒頭で「えっ、リンがどうしてレイと? つか、子どもって何事!?!?」とパニックに陥ったかもしれません。 あと、玉璽とスオ・リゥ氏については、ちゃんと『応竜』で伏線を張ってから・・とずっと思っていたのに、あっちの方は、エド×リンえっちシーンを書いて萌え尽きてしまって・・ボヤボヤしている間に、アリスがドドドドーッと来ちゃいました(すんません)。脳内ではちゃんとした順番があったのですが・・キーボード打つ指がついて来ませんでした。 だから、今回はかなり読者サービスが悪い作品になっております(万死)。 ちなみに、イウライの名前は『耀黎』と書きます。命名は葉紅龍さんです(多謝感謝!)。 あと、麻薬の名前として挙げた“麦角”とは、正確には麦角菌のことで、これと同じ成分を化学合成したのがLSD。“烏羽玉”はペヨーテという、LSDに良く似た作用を持つサボテンの一種です。 イウライがホーパパに!? というくだりは、作者ですら想定外の出来事でしたが、まっくらな空間が裂けて、その中にホーパパがいて、こっちを見ている姿が見えたのですよ、ええ、はっきりと。これはもう、書くしかないと。 あの時のドラゴンリン以上に論理的思考力が落ちていた作者は、引き込まれるようにホー! というわけで・・(←まだ人間並の知能には戻れていないもよう)。 あ、そうそう。エンヴィーとリンの絡みは初めて書いたんだけど、思ったより面白かった! エドのパイずり天国(?)も楽しかったっ! ムスタング夫人の『香港編』も、もっと遊びたかった! 残虐なシーンは・・やっぱりあんまり上手じゃないなぁ。どうしてもコメディの方が得意みたい。 その他、3章のタイトルとか、まだまだ言い訳したい部分はありますが、とりあえず、このへんで・・ |
本サイト初出:05年09月10日 |
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