前へSITE MENU鋼TOP PAGE

砂の記憶


5 昇


切れ切れの意識の中でも、一番古い記憶・・うずくまっているそのすぐ側で、男女がつがっていた。
小柄な男が存在に気付いたらしく、手を伸ばして軽くひっぱたいてくるが、この場を離れる気にはなれなかった。

「こいつ、またこんなとこに来てやがる・・いーか、そーゆーのは出歯亀とゆーんだぞ」

やがて、女も舌舐めずりしながら身体を起こす。豊満な乳房がたぷんと揺れた。

「未完成品なりに、セックスに興味があるんでしょ。性は、生命の重要なファクターでもあるものね。アタシは分かる気がするわ・・アンタも分からない訳ないと思うけどね。でなけりゃ、アタシの道楽に付き合うわけないでしょ」

「道楽ねぇ。ハッ、確かに道楽に違えねぇや」

男は苦笑してみせた。

「そ、道楽。楽しみ・・生き甲斐と言ってもいいわ。ねぇ、次はこーんなタイプのオトコがいーんだけど」

女が、サイドテーブルの上のアルバムを開き、若く逞しい男の写真を示す。

「あのねぇ・・いくら不死身の俺様でも、モノには限度ってーものがねぇ・・」




新しい生命を紡ぐことが、死に対する生物の対抗策なのか、それとも性を得て新しい生命を得た罰として、生物に死が与えられたのか。

デモ、ダッタラ、ドウシテ、ホムンクルスニモ、オトコト、オンナガイルノカ。

ホントウノ、フシデハ、ナイカラナノカ。

ソシテ、ワタシハ、ドッチナノカ・・ワカラナイ・・。



また別の時には、男が爪先で、イライラとなぶるように、あるいは猫でもあやすように、じゃらしてやりながら「おまえねぇ・・そんなみっともねー格好さらしてねーで、男でも女でも、どっちでも好きな方になればいいんだよ。俺達、人造人間は、自由にそれができるんだから」などとボヤいていた。

「あら、ひっぱたいたりして虐める割に、存外、可愛がってるのね」

「出来の悪い子ほど、かわいーもんだ」

「出来の悪い子ねぇ・・そんなもん作って遊んでるなんて、お父様に知れたら大変よ?」

「バレそーになったらグラトニーに食わせて、証拠隠滅しちゃおーっと」

丸裸の猫のような、猿のような・・促されるまま、伸びをして、人間の姿を形作ろうと試みるが、それらしい四肢を作った後、頭部に意識を集中した途端に、イメージがぼやけて再び、全身の肉がグズグズに崩れてしまう。

「・・おまえ、ホントーに出来損ないだなぁ・・」

男が呆れたように呟くと、力一杯蹴り飛ばした。




あの日、たまたま、火薬の匂いに引かれて、遠出をした。それがただの演習であり、期待した血と死肉にありつけなかったのにがっかりして戻ろうとした時、数名のオスが一つの個体に群がっているのに気付いた。
襲われている個体の恐怖と憎悪、そして徐々に引き出されていく快楽が虚空に迸って、腐臭に似た魅力的な“気”を放っていた。
あの“気”を食べたい・・と、駆け寄る。そして、無我夢中で、その個体を貪った。





「・・そんで、大佐が“賢者の石”を錬成陣代わりに焔を錬成して、焼き殺されタってワケね・・エドが、君達と同じってイウ理由ハ・・やっぱ、錬成陣ナシで錬成できるからってコト?」

クピドは答えない。リンは、フーッとため息を吐いた。多分、これは肯定の沈黙なのだろうと、そう解釈しておくことにする。

「・・ナラ、質問を変えよウ。その、人造人間のアジトって、どこにあったか覚えてなイ? クピドちゃん?」

「オボエテ、ナイ・・」

「ジャア、その、君の“石”はどこに行っタ? 大佐の体内?」

「チガウ・・タニゾコニ、オチテ、グラトニーガ、タベタ・・」

「そっカ。あんまり役に立ちソーな情報もネーナ・・マ、10年も昔ノ、シカモ出来損ないってんだカラ、仕方なイカ・・あと、言い残すコト、アル?」

「ワカラナイ・・」

リンはエドを顧みて「君ハ、コイツに何か聞きたい事は?」と尋ねる。エドは眉をしかめて首を振った。

「リン、よくそんな化け物と会話できるよなぁ・・」

「賢者の石の手がかりだと思えば、化け物でも悪魔でもオハナシしちゃウヨ、オレは。それに・・ちょっとコイツ、カワイソーじゃネェ?」

「・・別に」

「ソォ?」

ロイが催眠状態に陥った際に感じた“気”の乱れた感触は、どうやらクピドのものだったらしい・・そして、その苦悩は、あの高熱の中の悪夢を体験しているリンには多少、理解できなくもなかった。

「デハ・・“除霊”なんてやっタことネーけド、試してみるカ」

リンは右手を伸ばして、指先をロイの胸元・・その辺りにクピドの“気”がわだかまっているのを感じていた・・そこに当てた。女体から“精気”を吸い出す要領でなんとかなるだろうと見当をつけ、そのイメージで“気”を練ってみる。

さぁ、その身体から出ておいで・・その身体に寄生していても、苦しいだけだろう?

不意に、ブァッと風圧を感じた。リンはビクッとして、反射的に手を引く。
ロイの胸から、煙のようなものが吹き出したように見え、それは朧ろに人の顔を形作ろうとして・・やがて、それは叶わずに雲散霧消して消えてしまった。




「カレモ・・ワタシトオナジ・・ホムンクルスノ・・」




完全に消滅する刹那、微かな声がしたような気がして、リンはハッとしたが、エドは逆に、そのリンのリアクションに驚いたようだった。

「今の、聞こえたカ?」

「えっ? 何? どうしたの、リン?」

「さっきの煙みたいのハ見タカ?」

「何言ってるの? 煙って?」

幻覚だったのか? いや、確かに見たのだが。
さっき、ロイに五石丹を飲ませた際に、よく口をすすいだつもりなのだが、それでも多少、口腔の粘膜から、ごく微量を吸収してしまったのだろうか。自分がトリップしているという感触はないのだが、エドの態度を見る限り、ウソをついている様子はない・・ということは、先ほどの・・多分、クピドの霊体と最後の声・・を感じたのは、自分だけだったのだろうか。

じゃあ、クピドがロイの身体から出ていったように感じたのは、俺の幻覚だとでも?
念のために、ロイの方に向き直ると、その“気”を感じ取ろうとした。




・・しかし、そこに、先ほどの混乱した“気”の気配はなかった。




「・・よっしゃ。無事に、夢魔は“成仏”したらしーナ・・サテ、後は暗示かけテ起こすダケ、ダナ」

「そ、そうなんだ・・」

エドには、ロイの“気”がどう変わったかなどは、全然分からないが、リンの表情に「助かったらしい」ということを読み取って、安堵した。
ふと、思いついたことがあって「なぁなぁ、今の大佐ってさ、何尋ねても答える状態なんだよな」と、尋ねる。

「ンー、理論的にはネ。耐性ついてるっつーカラ、ぼちぼち切れるカモしんねーケド・・なんカ聞きたいことでもあんノ?」

「んーまぁ・・ちょっと席外してくれると嬉しいんだけど」

「へっ? ナンデ?」

「いや、その・・個人的なことっつーか、なんてゆーか」

エドの口ごもり方を見ていて、リンは質問内容に思い当たって、露骨にイヤな顔をした。

「だってほら、こーゆー機会でもねーと、大佐のチョー生の本音なんか聞けねーし、さ」

「ホーオ? のろけてくれるネェ」

「いや、駄目なら無理にとは言わねーんだけど・・その、いいだろ?」

「アノナー・・そーゆーお遊びしてる場合ジャ・・マ、勝手にしナ」

リンはくるりと背を向けたが、部屋を出る気はなかった。聞いていないフリをしながら、全身で耳をそばだてる。聞きたくはないが、自分に聞こえないところで睦言を言われているという状況にも耐えられなかったのだ。
エドが、そろそろとロイに近寄り、耳たぶにキスせんばかりに唇を寄せる。

「大佐・・俺のこと、好き? 誰よりも?」

ロイの瞳が一瞬揺らぎ・・唇が動く。声になるかならないかの、その回答に、エドの顔がパァッとほころび・・ポロンと涙がこぼれた。

いつもいつも、大佐とは、戯れ言か罵りあいばかりで。
「愛してる」なんて言われても、それが本音なのか、演技なのか見分けがつかなくて。 ・・いつも私はホンキだよ、と何度も言われていたが、その舌の根が乾かぬうちに、軽口を叩かれるものだから、どうしても信じられなくて。同じような口八丁で数々の女性を口説いてきたんだろうと思うと、ますます信用が置けなくて。




でも・・これはきっと、真実の言葉で。




「満足しタ?」

「・・うん」

エドはコートの袖で、顔をごしごしとこすった。

「ジャ、そろそろ仕上げに入るとするカ・・マスタング大佐、アンタはこれからゆるやかに深い眠りに入ル。目が覚めると、野郎どもや怪物に暴行されたコトは覚えていなイ・・そして、二度と思い出さナイ・・カレシと別れたのも、その事件が原因じゃなイ・・今まで記憶していた通り、カレが結婚するから別れようっテ言われたからダ・・そして、今日のことも忘れる・・リン・ヤオも、エドワードも部屋に訪れていない。アンタは明日の朝、いつも通りにサワヤカに起きて、メシを食うと職場に向かウ・・」

その言葉に導かれるように、ロイは徐々に全身を弛緩させていき、やがて寝息を立て始めた。

「すげー・・おまえ、前は俺にもそーいうことしたんだな」

「シッ・・もう少し・・大丈夫・・カナ? よし、オッケー!」

さすがに暗示をかけるのには神経を使ったのか、リンは薄く汗をかいていた。
指をパチンと鳴らしたりするやり方では、錬金術で発火するために自分で指を鳴らした時に、記憶が蘇ってしまう可能性があるし、パンと手を叩くのも、発砲や爆発の音が引き金になるかもしれないので、なかなか厄介なのだ。
その額を手の甲で拭い、椅子から立ち上がて伸びをすると・・勝手にロイのベッドに腰を下ろす。

「ハーァ、疲れタ・・」

「ご苦労様。ありがとうな」

「エド・・トーカコーカン」

「は?」

「いいかラ、ちょっとこっち来イ」

愛の告白に、ポワンと幸福感を味わっていたエドは、リンの企みに気付かなかった。ふわふわと近寄ったところを、腕を掴まれて引き倒される。

「うわっ・・何すんだよ!」

「ンー? オレが無料奉仕でここまでしたと思ってル? しかも目の前でノロケやがっテ・・この代償は、何で支払う?」

「そんな・・バカッ、今ここではマズいだろ! 何考えてんだ!」

「もうしばらくは起きねーヨ。そーいう暗示かけタカラ・・起きたところで、見せつけてやるサ・・水に流された過去のコトじゃネーってナ」

「なっ、なんだよ、まだ根に持ってたのかよ・・ごめんって、悪かったって、あれは言い過ぎたって・・でも、マジでここじゃ、マズすぎるって!」

「騒ぐと、ホントに目を覚ますゼ?」

エドはビクッとして口をつぐむ。リンはニヤッと笑って、そのエドのあごを掴むと、強引に唇を重ねて舌を割り入れた。

「ドウ? 恋人から真実のアイを告白された直後ニ、そのすぐ傍らで、他の男に抱かれるって気分ハ? しかも、いつもは恋人と一緒に寝ているベッドで?」

「・・お前、サイテー・・」

「なんとでも言エ・・君だって、コーフンしておっ立ててるくせニ」

リンの指が、エドのズボンの中に滑り込んできた。そこを弄ばれると、先端が濡れてきてしまう。

「ホラ、こんなニ感じてるじゃネーカ」

ズボンから抜いた手を、エドの目の前にかざす。その指には、粘液が糸を引いて絡み付いていた。いやがるエドの唇に、その粘液を塗り付ける。

「だから、ごめんって・・やだ、こんな状況で・・ホント、謝るから・・許してくれってば」

「でも、カラダがイヤって言ってネーヨ?」

確かに、エドの呼吸もうわずって乱れてきつつあった。だが、それはリンが巧みに煽り立てているせいでもある。

「貞淑ぶってもムダだヨ・・ホラ、目ェ閉じンナヨ」



・・そして、自分を抱いている“男”が誰なのか、ちゃんと目を開けて見な。



リンが、乱暴にエドの黒いボレロの衿を押し広げる。引きちぎれたボタンがひとつ、流れ星のように飛んだ。





「・・思ったんだけドヨ」

聞いているのか、いないのか、そんなことは関係ない。ただ、イってしまわないように気を散らすためだけに、エドの薄紅色の耳朶に囁きかける。

「さっきの化け物の記憶を消した訳だロ? でもって、あの化け物に襲われたショックで・・ま、イロイロあった訳だロ? 君に惚れたのも多分、その影響じゃないカって・・」

「な、にが、言いた、いんだ、よっ・・」

「ア、聞こえてタ? だからサ、目が覚めたら、君のことなんか忘れてルかもネーってコト。少なくとも、ソーイウ感情はなくなっちゃってるカモ・・?」

「んなわけ、ねーよ、あるわけ、な・・い」

「さぁ? どうでショ? ネた記憶ぐらいはもちろん残るとは思うけど、ソーイウ感情の源が消えちゃった訳ダロ? 今までと同じだと思ウ?」

「そ・・んなこと、考えたこともな・・」




けっ、ざまぁみろ、ちったぁこっちの気持ちも分かったか。




こっちはいくら想っていても、いつかは国に帰る身であるうえに、相手の気持ちは「弟の精神の混線」だなんて簡単に片付けられた挙げ句に、いうに事欠いて「過去の話」呼ばわり、だとよ。
珍しく「好きだよ」と言われてみれば、それは化生した女体が、というハナシで。
俺、コケにされてるんじゃねーか。たまにはこれぐらいの意趣返しをさせてくれないと、割に合わない。

いつのまにか、エドの嬌声が聞こえなくなっていた。
代わりに「・・お前、サイテー・・それ、計算してたんだろ・・ホンットにサイテー・・」などと、低くぶつぶつと呟いている。

「もし、これで大佐と破局しちゃっても、俺、ぜってーにお前に乗り換えたりなんか、しねーからな。も一回大佐を口説いて、落としてやる」

「はーソーですカ。そりゃマア、ナントモ熱烈な告白デ・・」

敵意むき出しの目で睨まれるが、その表情がまた、ゾクゾクきてソソるのだから、性質が悪い。

「マ、フラれて気が変わったラ、いつでもオイデ」

「ぜってーに、い、や、だ」

「そんな意地を張ったって、カラダが疼いてくるッテバ。君、インランだから」

「淫乱淫乱いうな・・!」

「大声あげたラ、大佐が起きちゃうヨ」

「おまえ、ホントーにサイテー・・だいっ嫌い!」

そして、ただ痛めつけるためだけのようなセックスが続いて。
それは恋敵の目の前で犯すという異様なシチュエーションの興奮によるものなのか、それとも、本当にリンを怒らせてしまったのか、エドには分からなかった。





ロイは、目を覚まして、頭の奥がズキズキと痛むのを感じた。椅子なんかに座って眠っていたからだろうか。どうしてこんな格好で眠ってしまったのか・・ベッドはパリッとシーツが替えられているかのように、きちんとしてあるのに。

前にホームキーパーを雇って、ベッドメイキングさせたのはいつだったろう? それからベッドで眠っていないのだろうか? いや、自分ならあり得る。最近はソファで眠ることが多かったような気がするからだ。

こんな気持ち良さそうなベッドで眠らないなんて、もったいない・・そう思って、のろのろとベッドにうつると、ほのかにぬくもりが残っているような気がした。そう、ついさっきまで誰かが寝ていたような。
不審に思って、まだぼうっとカスミがかかったような頭で、辺りを見回してみる。



黒いボタンが落ちていた。



これは・・鋼のの? 鋼のが来ていたのだろうか? だったら、ベッドを直したのは鋼のかもしれない。あれはあれで、なかなか家事をこなせるから。眠ってたので、遠慮してそのまま帰ったのだろうか? どうせなら、起こしてくれたら良かったのに。
ベッドに横たわり、黒いボタンを片手で弄ぶ・・夢を見ていたような気がするが、何も思い出せない。

そうだ、喉が乾いた・・なにげなく起き上がり、台所に向かって水を汲む。冷たい水を飲み干してから、そういえば赤さびた水しか出て来ないから、使っていなかったんじゃなかったっけ・・と思い出す。いつ、水が澄むまで大量に流したんだろう?
おかしいと言えば、貯蔵庫にはパンやらハムやらが押し込まれている。買い出しに行った記憶もないのに・・時計を見ると、朝の6時だった。


寝直している場合じゃないな。朝食を食べたら、出勤せねば。


ごく自然に、そんなことを考えていた。いつもの自分なら「6時? もう少し寝よう」とか「なんかサボれるような上手い言い訳はないかな」とか考えそうなものだが・・
ロイは無意識の動作で、コンロに向かって指を鳴らしていた。あれっ、火がつかない・・と一瞬ドキッとするが、素手であったことを思い出し、苦笑しながら、ポケットから手袋を引っ張り出すと、もう一度パチンとやってみた。

当たり前のように、ボッと火がつく。フライパンをコンロに乗せて、厚切りにしたハムを軽く炒めながら、食卓テーブルの上に自分の研究ノートが広げられているのを見た。

なんでこんなところに?

だが、胸の奥で最後のひと粒がこぼれ落ち、ロイはいつもの調子を取り戻して、なにごともなかったかのように朝食を平らげ、出勤した。



その日の朝はロイの突然の帰還と、それを喜ぶリザ達で、中央指令部は大騒ぎになった。
一方ロイも、自分が知らない間に、数日間が経過していた(そして、そのために未決済書類が殺人的に溜まっていた)ことを知らされて、大いに戸惑ったものだ。





本当に、リンが言ってたように、大佐が俺のこと忘れてたら、どうしよう・・そう思うと恐くて、エドは、自分からロイに連絡が取ることができなかった。
そして、ロイからも連絡がない日が1日、2日と続き・・ダメだ、完全に大佐に忘れられたんだ。せっかく・・大佐の本当の気持ちを聞きだせたのに、無駄になっちまった。

でも、大佐の記憶が、生命と引き換えだったとしたら・・何かを守るために、何かを失うというのが等価交換の原則だから、これで良かったんだ・・良かったんだよね、大佐? ・・そう自分を無理矢理に納得させていたとき、だった。

「兄さん、大佐から電話だって」

「大佐から!?」

アルから受話器を奪い取り、耳に押し当てる。心臓が早鐘のように鳴っていた。

「たっ・・た、た・・大佐・・なっ・・何?」

「やぁ、鋼の。久しぶり。ここしばらく仕事が溜まってて、全然、連絡ができなかった。済まないな。お詫びにディナーでもどうかね?」

のんきなロイの声。エドは思わず腰が抜けて、ズルズルと座り込んでしまう。

「そ・・そっか、仕事ね、単に仕事が忙しかっただけなんだ・・は、はは・・は」

「んー? どうした、鋼の?」

「なっ、なんでもねーよっ! じゃあ、待ってるから、早く迎えに来やがれ!」

エドは、左手の甲で目尻を拭うと、わざと乱暴にそう言って、受話器を叩き付けるようにして通話を切った。

そっか・・そうだよな、ああ、そうなんだ!





エドは幸福な気分で、ロイの腕の中での絶頂を迎えていた。髪を撫でられて、その胸に甘えかかる。

「いつになく素直だな。なんか、薄気味悪いぐらいだ」

「そ・・そうか? 久しぶりだからじゃねぇ?」

「そうかね?」

まぁ、たまにはこういうのも悪くない・・とロイも上機嫌でエドの、機械油と甘い体臭の混じった独特の薫りを胸一杯に吸い込み・・いや、こういうの、が好きだったんだ・・と思い出す。マースとはいつもこんなふうだった。

「・・ね、ヒューズさんと付き合ってたんだって?」

「なっ・・ななな・・誰から聞いた?」

ヒューズのことを思い出してたのが、バレたのか・・それとも、既に他人にバレていたのか。いや、絶対バレないように気を使ってきたはずだ。私は完璧だった・・筈だ。
・・というか、もしかして今のは、単なるハッタリだったのではないだろうか。だとしたら、マズいことを口走ってしまった! さぁて、どう言い訳しよう・・と、ロイが赤くなったり青くなったりする。

「・・でも俺、気にしてねーよ。俺が一番、なんだろ?」

「あ、ああ。そうだ。その通りだ」

エドの笑みは、やけに包容力を感じさせるもので・・その表情に魅入ったロイは不意に、唐突な仮説を思いついた。

私は、この子が大人になるのを待っているんじゃないだろうか・・外見も性格も全く違うというのに、どこか・・そう、エドが時折見せる、こんな大人びた、包み込むような部分に、あの頃のマースの面影を・・?
ロイはまだ幼かったエドに初めて逢った時、そして初めて抱いた時のことを思い出そうとした。そうだったような気もするし、そんな仮説は見当違いのような気もする・・人間の記憶なんて曖昧なものだ。ただ、今、この瞬間に彼を抱いていることだけが、確かな現実で。


ふと、窓が見えた。夜空・・砂を散りばめたような星・・サラサラと何かか流れ落ちる音を聞いたような気がした。

「・・そうだ、思い出した・・」

忘れてしまった夢のワンシーンを・・起き上がり、窓を開ける。
一瞬、そんなことをしたら、また「超常現象の原因究明調査書」か「始末書」か、どちらかを書くはめになるに違いないということが脳裏をよぎったが、気付けば体が動いていた。手袋をはめた指を鳴らして・・



・・夜空に巨大な華が咲いた。赤く、青く、天を覆って輝いて。



「どうだ、きれいだろう、鋼の」

振り向くと、エドはちゃんとそこに居て・・次々と華開くまばゆい閃光に頬を照らされながら、驚いたのか呆れたのか、口をポカンと開けていた。

「キレイ・・だけどよ、アンタって本当、たまーにすんげー子どもっぽいことやらかすよなぁ」

同い年のリンの方が、10年以上年上のアンタよりもよっぽどオトナってどーゆーことよ? という台詞は飲み込む。

「・・つーか、いいのか? こんなことして」

「被害はない」

「そりゃー街壊したり燃やしたりしたわけじゃねーけど・・」

「少しはホメてくれても良くないかね?」

エドはあっけに取られて・・そして爆笑した。笑いながら、手を差しのべて抱き寄せ、ロイの頭を撫でてやる

「ああ、すごかった、すごかった。キレイだったよ。うん、すげぇ・・万国ビックリショー的錬金術の平和的利用法ってやつだな」

「・・そーいう取ってつけた言い方は、余計に傷付くな」

「でも・・本当にキレイだったぜ」

そして、拗ねているロイのあごをとって、エドの方からエスコートするように、キスをする。
ロイは一瞬、目を見開き・・やがて、目を閉じて、エドの首に腕を回した。
いつか、本当に、この子がオトナになったら・・だが、それまで私は待てるのだろうか?

いつしか花火はやみ・・再び訪れた沈黙と暗闇の中、ふたりの身体が重なっていった。

FINE
前へ

【後書き】一番最初に思いついたストーリーですが、なかなか仕上がらずに苦労しました。
当初、思い浮かべていたのは「演習中のレイプ事件が、なかったことにされてしまう」という、某洋画の「将軍の娘」のパクリと、怪物がこちらを見たときに、リザの顔をしていた・・というシーンのイメージで、そこから色々と膨らませていった感じです。
この話を抱えて難産している間に、「錬丹」「KON-LON」「素女丹騒動記」などが先行して仕上がり、それらの設定やストーリーが次々と流れ込んで、さらに変更に変更が重なって、最終的にこの形に辿り着いた・・という感じです。

特に「素女丹・・」のせいで、エドは「おっぱい星人」になるわ、リンも女体化の精神的ショックから抜け出るのに苦労するわ、もう、大変でした。でも、そのおかげで“クピド”を造り出せたし、801小説でありながら「ジェンダー」について説くという冒険ができました。とても長い作品でしたが、最後までおつき合い頂き、ありがとうございました。
なお、没になったシーンがかなりあるので、気に入っているエピソードはSSとして、徐々に救済していこうかなと考えています。期待しないで気長にお待ちください。


ところで、気になるクピドちゃんの最後のセリフですが・・原作によれば、エドのとーちゃんがホムンクルスくさいのですが・・ってことは、エドってホムンクルスの子ども? って疑問に思っただけです。うーむ。
1〜4章初出:2005年5月5日
5章初出:5月7日

SITE MENU鋼TOP PAGE

※当サイトの著作権は、すべて著作者に帰属します。
画像持ち帰り、作品の転用、無断引用一切ご遠慮願います。