1 覇王逢姫
応竜は獣類の先祖・毛犢から生まれた。
応竜はまた健馬を生み、健馬から生まれたのが
獣類の長・麒麟である(淮南子)。
また、『山海経』の郭璞の註にいわく、
応竜とは翼のある竜である。
キング・ブラッドレイ時代の負の遺産で、周辺国ほとんどと正常な外交状態にないアメストリス国としては、砂漠を挟んだ遠国とはいえ、物資に恵まれた大国・シン国との国交を再開し友好国としておくべきだ・・と、新大総統は考えたのだろう。
幸い、若き皇帝はアメストリス国に好意的らしい・・という情報も入ってきている。それで、近々シン国へ使節団が派遣されるらしい・・そこまでは、知っていた。
「まあ、確かに、ドラクマ国もシン国と結びたいと考えているようですしね。北のドラクマ国、東のシン国に挟撃されては、我が国はひとたまりもない」
「そういうこと・・っと、これでどうかね?」
コトリ・・と、ナイトの駒が進められる。
「あーっ・・大総統、ちょっと待った、それはちょっと・・うーん・・では、これで」
「ほっほっほっ・・引っかかったな。チェックメイトだ」
大総統と呼ばれたのは、ブラッドレイよりも年長の、眼鏡に白ヒゲの好々爺・グラマンで、頭を抱えているのはロイ・マスタング・・准将に昇格していた。
「東方指令部でもよく対局したが、相変わらずだのぅ。そんな調子では、とても軍を任せようという気にはならんわい」
「チェスでは、実戦的な軍事戦略は生かせませんよ。チェスが弱いからって、無能と決めつけないでください」
「では、こういうのはどうかね? わしが君に50連勝したら、うちの孫娘を嫁に貰ってもらうというのは?」
「そんな・・!」
「いやかね? じゃあ、孫娘のところに婿入りしたまえ。残念ながら、シン国と違って世襲制じゃないから、わしの大総統の椅子を、そのまま君に譲ってやることはできないがね」
「いくらなんでも、50連敗はしませんよ」
「ほうほう? じゃあ、さっきのを1勝目として・・あと49回じゃな」
グラマン大総統は上機嫌でコマを並べ始め、ロイはシャレにならない勝負に、額に脂汗を浮かべる。本当に50敗する前に、リザ君にお祖父様の暴走を止めるよう依頼せねば・・いや、止めるどころか応援し始めたらどうしよう・・ファルマンに頼んで、なんとしてでもチェスに負けない方法を伝授してもらわねば!
「それでのう、使節団の通訳として、ロス中尉とエルリック中佐にも参加してもらうことになっておる。出立は来週でな・・」
「はっ? エルリックって・・鋼の?」
「うむ。前回の査定で、シン国の文献を参考資料にした錬金術と鎌丹術の融合の可能性についてのレポートを出してきおってな。聞けば、少しは話せるんだそうな。確かに、通訳がロス中尉ひとりだけでは、負担が大きかろうと思って、な」
「・・出立は来週と申されました!?」
「うむ。ドラクマからの使者がシン国と結んでしまう前に、一刻も早く、新皇帝に謁見する必要があるのだよ」
鋼のを、シン国に?
新皇帝の名は、ヤオだと聞いている・・多分、あのリン・ヤオなのだろう。
あの男はかつて・・いや、過去のことだ。だが、例え過去の事であろうとも、そんな男の許へ、恋人を送り出すだなんて・・!
「なにをボヤッとしてる? でも手は抜かんぞ。ほい、チェックメイト。2勝目じゃな」
その晩、なぜ使節団入りを承諾したのだと怒鳴るロイと、ロイが何故怒るのか理解できないまま怒鳴り返すエドで、派手な痴話ゲンカをやらかして、しまいには指パッチンVS手パン錬成の攻防になり、近所の住民の通報で憲兵が出動する騒ぎになったものだ。
そして・・エドに翻意させることも、エドに代わってシン国語ができる人材を推挙することもできないまま、ついに出立の朝を迎え・・ロイの連敗記録は、順調に37まで伸びていた。
砂漠を馬と馬車で渡ってきた使節団は、拍子抜けする程あっさりと、挨拶となる一度目の謁見を許された。
国力を見せつけるような、圧倒的な広さの謁見の間に通され、使節団長が大総統から預かった親書を差し出すと、側近の者とおぼしき者がそれを受け取り、皇帝に取次ぐ。
『遠路はるばるご苦労であった。面を上げよ』
謁見の印象はかなり良い感触で、今回の使命は上首尾に終わるだろう、と一同は直感したものだ。
使節団はその後、案内役を司った外交担当の長官、スオ・リゥによって、客間というには広すぎる離れに案内された。
次回の謁見や親書の中身についての、次官レベルでの会合、歓迎の宴などの予定を確認した後、それまでは自由行動を許可するとのことで、通行許可証となる薄っぺらいカードを渡される。
「これを見せれば、宮殿の大抵のところに入れます。許可されないところには、機密があるとお考えになってご遠慮ください。なるべく楽しく気楽に過ごして頂きたいという陛下のご配慮です。ただし、武器の携帯は制限させて頂くことにしています」
スオ・リゥの操る西の言葉は、どことなく北方の訛りこそあったが、語尾のイントネーションにどこか訛りが抜けなかったリンよりも、はるかに流暢といえた。自分たちの拙いシン国語で本当に条約締結まで漕ぎ着けることができるのか、重責のあまりハゲかねない気分だったマリアとエドにとって、スオ・リゥの登場は天恵だった。
上背が高く、骨ばった感じのする四十歳手前ぐらいの男で、長く伸ばしたあごひげはよく手入れされているのか、絹糸のように艶やかだ。
にこやかな笑顔を絶やさずに「何か質問はありますか?」と、尋ねる。
「あの・・ヤオ家に以前、お世話になった者ですが、訪問のために宮殿を出ることは許されますか?」
マリア・ロスが片手を上げて尋ねる。スオ・リゥはニコッと笑ってみせて「もちろんです。美しい都ですから、他の方も是非、市場などを散策されると宜しい」と言った。
「あ、マリアさん、フーさんとこん行くんだ・・じゃぁ、頼まれてくれる? これ、アルから預かってるんだけど・・」
ヤオ家の屋敷を訪れたマリアは、フーと再会を喜びあい、ランファンにも逢った。
『まぁ、キレイになっタのネ、すっかり女らしくなっテ・・』
マリアに褒めちぎられて、ランファンは恥ずかしいのか、お茶を煎れていた手を止めて、頬を染めて袂で顔を隠してしまう。マリアはクスッと笑って視線をそらしてやり、フーの方に向き直ると『お嫁にはやらないのですカ?』と尋ねる。
『あくまでも我々は、臣下・・というよりも、ヤオの長老家に代々仕える家柄だからのう。ヤオ一族の代表としては、長老の家系のシャオユイ殿が後宮入りされて・・まぁ、それでもたまには、陛下の身の回りの世話もさせて頂いておるらしくて・・よその男に嫁ぐよう言っても、これがまた言うことを聞かずに困っておるのじゃよ、まったくランファンときたら・・』
『・・おしゃべり! そんなことまでお客様に言うなんて・・!』
ランファンが泣きそうな顔で叫んで、フーの繰り言を封じる。マリアはふと、上司であるリザ・ホークアイのことを思い出していた。
『お嫁に行かないの、なんテ失礼なこと聞いてしまっテ、ごめんなさいネ。ランファンちゃんはそれでも、幸せなのヨネ?』
ランファンは半べそをかいた顔を袂からそっと覗かせたが、小さく可憐な口許をそっとほころばせて、うなづいてみせる。
マリアは、お茶を注いだ白磁の茶碗を受け取り、一口すする。馥郁とした薫りが、フワッとマリアを包んだ。アメストリスにも紅茶や輸入ものの茶はあるが、やはり本場は違う。
『あ、そうダ。あんまりにもお茶がおいしくて、ついつい忘れるところだっタ・・コレ、預かっていタノ』
ランファンは一瞬、それが何であるのか分からず、急須を抱えたままキョトンとして・・いや、翡翠の見事な帯玉だということは認識できたが、それがかつて自分のものだったということなど、すっかり忘れていたのだ。
『ええと、エドワ−ド君かラ頼まれたんだけド、弟のアルフォンス君かラ、貴女にっテ』
アルフォンスといえば、アメストリス国を出る前にリン様と一緒に遊廓で遊んだんだっけ・・そういえばあの色里の女・・と記憶の糸を辿るようにして、その帯玉が、リンから遊女の手に渡ったということを思い出し・・そもそも、どうしてあれを持っていたんだろうと首をひねって・・弟、という単語から、ようやくリンの義弟・レイからのプレゼントだったと思い当たった。
その翡翠の帯玉が、今、ここにある。
確か、この帯玉を売って、その金で売春宿を出るようにと言っていたのではなかったか?
『何か、伝言はないのですか?』
『別ニ・・ただ、渡してクレっテ』
しかも、アルフォンスからだって? どういうことだろう?
売らなかったのか? 売らなくても良くなったのか、売る気が無くなったのか。
シン国に来る気がなくなったのか、来れなくなったのか。
他に良い旦那がついたのか、店を出ることを諦めたのか・・それとも?
いずれにせよ、帯玉がここにあって、彼女がここに居ないということは、あの遊女がシン国に来る可能性はもう、無いものと考えて良いだろう。それは、リン様に伝えるべきなんだろうか?
リン様が髪を伸ばして待っているのは、彼女なんだろうか、それとも“あの男”なのだろうか?
『・・あの、ごめんネ。本当に私、タダ渡してクレって頼まれただけデ、詳しいこと何も・・なんだったラ、エドワ−ド君呼んで、直接話を聞ク?』
ランファンが帯玉をにらみながら、ムスッと考え込んでいるのを見て、マリアが気まずく感じたのか、そう言った。
ランファンがパッと振り向いて『なっ・・エドが来てるの?』と叫び、フーはひげを撫でながら『ほう、あの小僧っこが・・』と、懐かしそうに笑う。
『ええ、通訳としテ私と一緒ニ』
『・・そう。エドが・・』
あの女もイケ好かないと思ってたけど、“あの男”に比べたら、まだ数段マシだったかもしれない・・
ランファンは、手の中の帯玉を床に叩き付けたい衝動に駆られ、必死で耐えた。
公的行事や会議の場では、とてもリンと私的に話せる状況ではなかった。かといって、個人的に面談を申し込むのも、手続きが煩雑で実際に会えるのは、1か月ほど先になるという。当然、使節団はそんなに長いこと逗留してはいられない。
でもなぁ・・せっかくなんだから、逢いたいよ。
なんか方法はないのかとスオ・リゥにも相談してみたが、いくら過去に個人的に付き合いがあったとはいえ、現在は雲上人である皇帝に、そうそう簡単に逢う方法などない。
「リン・・いや、陛下の方から会おうって言って貰ったら、なんとかならないのかなぁ?」
「さぁ・・そういうご希望はあるのかもしれませんが・・それはセキュリティの問題と申しましょうか・・いえ、エルリックさんを疑っているわけではありませんが、一般論としての話です」
「リゥさんも、陛下と個人的に会話する機会ってないんですか? その・・伝言をお願いするとか」
「ないですね」
スオ・リゥがあっさりと否定する。
外交長官の身分なのだから、会う機会ぐらいありそうな気もするが、そういえば、リンが昔、己の父親でもある先帝について「話をするどころか、逢うこともない」と言っていたっけ。つまり、皇帝の実子であり、外交長官よりも遥かに上の身分でもある皇子ですら、そんな状態なのだ。
アメストリス国にいた頃は、あんなに近くにいたのに。一緒に戦って、一緒に笑って、時にはケンカもして、そして・・キスをして、抱き合ったというのに。
リンがひどく遠い存在になってしまったように感じられた。
アルに、リンへの伝言があったら・・なんて言っちゃったけど、アルからの伝言どころか、俺の言葉すら届けられない状態じゃねーか。
スオ・リゥはそんなエドを見下ろして、何かを考えていたようだったが、ふと時計に目をやると「おお、そろそろ行かないと、会合に遅れます」と、エドを促した。
実際には、アメストリス国使節団が直感したほどには、事態は楽観的ではなかった。
他国への侵略戦争を繰り返し続けていたアメストリス国の評判が芳しくなかったことは確かで、アメストリス国と敵対するドラクマ国と、どちらと結んだ方がよりシン国の利益になるか、部族長らの間でも意見が割れていたのだ。ドラクマ国からの使者を待って、両国の条件を比較すべきで、それまではアメストリス国への態度を保留した方が良いのではないかという意見もあって、なかなかまとまらない。
それでなくても、ジーサンの会議はいたずらに長くて、まとまりがねーのに・・
皇帝としてはアメストリス国支持でスパッと決めてしまいたかったのだが、いかんせん、まだ若すぎるせいか、部族長らに対してツルの一声をかけられるほどの信任も権威も、リンにはまだ備わっていない。
ただ、最後の最後、調印するための玉璽は、リンが持っている。リンが納得できる内容にまとまるまでは、印を押さないつもりだ。
アメストリス国との国交樹立に、最も強硬に反対しているのはリゥ族だ。
リゥ族は、先帝の皇后の出身部族で、その一粒種は皇位争奪戦の最有力候補だっただけに、それをかっさらったリンへの心証が悪いのは、仕方ないところだろう。さらに、リゥ族の領地は、国土の北方に属しており、ドラクマ国とは交流もあるようだ。
部族長会議は、ドラクマ国支持のリゥ族とその賛同者、リゥ族の勢力が強大化するのを警戒する対立勢力・・という構造に発展しつつあった。
せっかくエドがシン国に来てくれたのに、会議会議会議会議か・・でも、影武者に任せて抜けだせるような状況じゃないよなぁ・・これ。
かといって、政務を終えたプライベ−トタイムも、リンは自由になれるわけではない。
『陛下。今宵の伽は、ツァオ氏とシェ氏のどちらにされますか? どちらも月の障りから計算するに、種を授かるには最適と思われますが』
などと、宦官が尋ねてくるのだ。せっかくエドが来ているというのに、好きでもない女を抱かなくてはいけないとは、皇帝というのは本当に厄介で面倒な身分だ。
これこそ、影武者に頼んで、勝手にやっておいてもらいたいと思うのだが、まかり間違って影武者が妃を孕ませて、万世一系の血筋を絶えさせることがあってはならないとのことで、影武者であろうとも男が後宮に入ることは、固く禁じられている。
『どちらでも良い』
『でしたら、ツァオ氏はいかがでしょう?』
即座にそう言われると、妙な気がする。こいつめ、ツァオ氏を優先して閨房に送り込むよう、袖の下でも貰っているのではなかろうか?
『いや、待て、おまえ、前にもツァオ氏と言ってなかったか?』
『はて、そうでしたでしょうか?』
宦官はのっぺりとした顔で空とぼけてみせるが、そそくさとツァオ氏と書かれた札を持って下がろうとした。
そういえば、ツァオ族もリゥ族支持派だったな・・対するシェ族は反対派で。まさかとは思うが、閨房の寝物語で、部族長会議の続きをする気じゃあるまいな。女を使って篭絡しようだなんて、そんな手には乗るものか。
『待て待て、気が変わった。ヤンフィを呼べ』
『はぁ? ヤンフィ・・ですか?』
『文句を言うな。ツァオ氏とシェ氏といえば、どちらも有力な部族だ。どちらかを取れば、もう片方の面子が潰れて角が立つ。ならば、いっそ両方取らないというのも策ではないか』
『はぁ・・それも理屈ではございますが・・』
宦官は反論できなくなり、プッと頬を膨らましていたが、やがて諦めたのか一礼して出ていった。
リンが指名したのは、どの部族にも属していない女であった。今、彼女以外の妻妾を指名すれば、その出身部族によっては、ややこしいことになりかねない。リンはため息をつくと、寝台に身体を放り出した。
エドも、連日のように退屈な会議の通訳に追われていた。自由時間でも他の使節団員が市内観光したいというのに付き合って、シン国語ができない彼らに代わって、市場で土産物をねぎったりする交渉を代行したりさせられて、ヘトヘトであったから、深夜、コツコツと遠慮がちに扉を叩く音に気付いたのは、まさに僥倖といっても良い。
扉の向こうには、青い衣を着た人物が立っていた。
『どなたですか?』
『それがしは、後宮で女史を務めていらっしゃるヤンフィ様の従者で、セイと申します・・あの、エルリック様はいらっしゃいますか?』
『・・私ですが?』
声はしわがれ、見た目もひどく老けている。なにより、セイと名乗る人物が男か女かすら、エドには判別できなかった。
『・・エルリック様を後宮にお連れするように、とのことです』
『後宮に!? あそこは男は入れないって・・』
エドが声をあげそうになるのを、セイは指を立ててシッと息を鳴らし制した。
『もちろん極秘裡に、でございます・・何卒お静かに。靴は音の立たないこれに履き替えて、この薄衣を羽織っていただきます』
エドは差し出されるままに布靴に履き替え、女物のヴェールを羽織ると、セイが足を引きずりながらも小走りするのを追った。
なにしろバカのように広すぎる宮廷だ。見えているはずの館まで、いくら走っても永遠に辿り着けないような、そんな錯覚にすら陥る。のんびり歩いていては夜が明けてしまいそうだ。土地勘がないうえに、走りにくい女装をさせられているエドには、実際の距離以上に遠く感じられた。
『ヤンフィ様、お連れしました』
ついに、回廊の途中のある扉の前で、セイが唐突に立ち止まった時、エドは息を切らしてへたり込みそうになった。
『セイ、ご苦労だった・・あなたがエドワ−ド・エルリック君?』
目の前に、小柄でほっそりした女性がいて、エドの顔を覗き込むように軽く屈みながら、小声で話しかけてきた。
瞳こそ、ア−モンド型でやや吊り上がった、シン国人らしい特徴をみせているが、髪は亜麻色で、肩の辺りでゆるやかにウェーブしている。
『は・・はい、そうですが・・』
『アメストリスでは陛下が世話になったそうじゃないか。もっと早く呼んでやりたかったが、陛下はいまいち、こういう機転がきかなくてな』
女性は苦笑すると、朱に塗られた扉をそっと押して開ける。
『あの・・』
『陛下がお待ちかねだ』
白魚のような手が指す室内には、透けるような生地のカーテンがはり巡らされており、月明かりに照らされて、まるで水中にいるかのようなぼんやりした光景だ。その奥の寝台らしきものに腰を下ろして、ぼんやりとしている後ろ姿は、記憶の中の少年のリンよりは、痩せて華奢に見えた。エドは、吸い込まれるようにその影に歩み寄る
『・・ねーさん?』
エドは、リンが“ねーさん?”と背中で尋ねたことに、なぜか一瞬、ムッとして・・親しげな女性の存在を感じたことに、妬けたのかもしれない。思わず、長く伸びた束髪を掴んで、引っ張っていた。
『・・いてててっ・・何すんですか、ねーさんっ!』
「『何すんですか』じゃねーだろ! せっかく俺が来たってゆーのに!」
「エ・・エドワード? なんデ、ここニ?」
「セイって人が迎えに来て、おまえんとこ連れてってやるって」
「セイが・・ああ、じゃア、ねーさんガ・・あっ、そっカ、その手があったんカ・・チクショウ!」
そう汚い口調で喚くリンは、皇帝というよりもむしろ、6年前に出会った少年そのものだった。
良かった、変わってなかったんだ・・そう思うと、エドは嬉しくなってしまう。スォ・リゥの口調では、もう二度と普通に会話することすらできない、別世界の人になってしまったかのようだったから。
いや、為政者をそういう象徴的な存在に仕立て上げることで、50もある部族をまとめあげ、押さえ付けるだけの強大な権力を維持するのが、シン国のやり方だ、と言った方が正確なのだろう。
「やっと逢えたね」
「・・玉座から見下ろしてタ時には分からなかっタケド、背、伸びタナ」
「あ? ああ、まぁな。もう豆だのチビだの言わさねーぜ。ほんのちょこっとだけど、大佐より高くなったんだぜ」
「ジャ、背比べしてみるカ? 昔は君、オレのこのヘンぐらいだったんダゼ?」
リンは立ち上がると、自分の肩よりもちょっと下のあたりを手で示してみせた。
「そんなに低くなかったよ! せいぜいこのヘンで・・」
エドがリンの肩よりやや上に手をやり・・そのままエドがリンの両肩を抱いた。
シン国に行くことに大反対していたロイの顔が、エドの脳裏をよぎった。ああ、彼はこれを心配していたんだな、とエドは今さらのように気付く。
どちらが先に目を閉じたのかは分からない。ただ、磁石が引き合うように、唇が重なっていた。
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