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KON−LON


2 偽りのまほろば


『ランファン』

宿に戻ったリンは、ソファにもたれて臣下である少女に声をかけた。
少女は、軽い緊張をみせて、畏まり『はい』と答える。賢者の石の手がかりをつかむために、エドの様子を日頃から覗き見・・というと言葉が悪いが、探らせてもらっているのだが、リンがアルと遊んでいる間は、ランファンが代わりにエドを尾行していた。まずは、その報告を聞く。

『・・で、マスタング大佐の自宅に行って・・その・・』

『その?』

『その・・えーと、そういう関係みたいです、あのふたり・・』

『ふうん・・』

『驚かれないんですか?』

いや、別に・・と言いかけて、リンはまた、妙な既視感を感じる。そういえば、確かにそんなことを唐突に聞かされたら仰天してもおかしくない筈なのだが、なぜか、前からそんなことは知っていたような気がしていたのだ。
いつ、どこで聞いたかと聞かれれば、記憶にないのだが・・エドにそういう趣味があるというのなら、あの妙な記憶が本当にエドだというのも、まんざら可能性がなくもないが・・如何せん、記憶にない。

『ランファン。その、つかぬことを聞くが・・オレとエドワードの間でだ、その・・記憶にはないんだが、なんというか・・なんかあったか、知らないか?』

『なんか・・と申されますと・・』

ランファンの視線が微妙に泳いだ。リンはわざと、指の間接でコツコツとテーブルを叩いてみた。ランファンがその急な音にビクッと反応する。これは・・女が嘘をついている時の反応だ。

『何か、隠してるだろ? 正直に言え』

『・・もっ・・申し訳ありませんッ!』

ランファンが床に手をついた。

『実は、あの・・私のせいなんです! その・・あの、お二人に“そういうこと”があったというのは、本当なんです・・その、五石丹を使って・・ただ、そのときにエドワードさんの記憶は、リン様が消して・・リン様の記憶は・・その・・』

『その? なんだ』

『その、私めがつい、カッとして、リン様を平手打ちしてしまった時に、飛んでしまったようで・・』

『なぜ、その直後にそれを言わなかった』

『叱られると思って・・その、主人に手をあげてしまったわけだし・・』

『ふん、五石丹を使ったということは、何かを聞き出そうとしてたのか・・それも忘れたというわけだな』

『申し訳ございません!』

『バカもの、直後ならまだ、その記憶を取り戻せたかもしれないのに! 賢者の石の情報だったかもしれないではないか!』

『お許しください!』

思わず右手を振り上げていたが、うなだれている少女の細く白いうなじに、それを振り下ろせるはずもない。代わりにこぶしでテーブルを叩いた。ランファンは、まるで自分が打たれたかのようにワッと泣き出してしまう。

『・・まあ、いい。賢者の石の情報については、これからもあいつらの近くにいるんだから、いくらでも取り返しがきく』

『はい・・ありがとうございます。申し訳ございませんでした』

それからしばらくの間、ただランファンの嗚咽だけが続く。ひどく気まずい雰囲気になり、それを誤魔化すように、わざと明るい口調で『それにしてもなぁ・・男を抱いたなんて・・あんまり想像したくないな・・口直しに、オンナでも買いに行きたいナーなんて思ってるんだけど・・ランファン?』と言ってみた。
そして、ランファンも気持ちを切り替えたのか、袖で涙を拭いながらも『ダメです。前に路銀が尽きたの、何故だか分かっているんですか?』と、きっぱり断わる。

『まあ、確かに、オレがちょっと豪遊してハメ外しすぎちゃったのが悪いんだけどさ・・あのさ、今回はオマエが原因なんだから、ちょっとはカネ出してくれてもいいんじゃないの?』

『女遊びには決して使わせないようにって、お母上様からのお達しですから』

『ケチッ!』

いくらリンがランファンの主人だからといっても、母親を引き合いに出されると弱い。

『・・しかたねーなぁ・・こうなるんだったら、やっぱ奴婢を一匹連れてくれば良かった・・じゃあ、今晩はオマエでガマンしてやろーか?』

『リン様のドすけべっ!』 



その夜、エドはずっと眠れなかった。身体の奥が灼けるような・・熱はないくせに、悪寒にも似たゾクゾクする感触もして。皮膚の表面が粟立ち、全身の細胞がざわめいている。それは、エド自身の意識とはまったく異なる意志によるものだった。あの陽気な死刑囚・バリー・チョッパーが生きていてこの話を聞いたら「肉体が呼んでる声に似てる」と言ったかもしれない。
だが「記憶が脳だけに蓄積されるものではない」という仮説が提唱され、臓器移植されたドナーが提供者の記憶を継承するなどの症例が実際に観察されるのは、ずっと先の時代だ。このときのエドは、全身の違和感に圧倒され、自分ではない意識に身体を乗っ取られそうな恐怖に、ただ怯えるだけだった。
自分の手で慰めてしまえば少しは楽になれるのかもしれなかったが、眠れないアルフォンスが隣にいては、そういう訳にもいかず、心配をかけないためにも眠っているフリを続けなければいけない・・だが、そのガマンも限界だった。

「アル・・ちょっと俺、目が醒めちまった。ちょっと、散歩にでも行ってくるよ」

「散歩? まだ暗いし、一人歩きは危ないから、ボクも一緒に行こうか?」

「いや、いい。ひとりで行きたいんだ」

アルは「そう・・」と力無く答えて、再び読んでいた本に視線を落とす。兄の夜遊びで置いてきぼりにされるのには、いい加減に慣れてしまっていたようだ。エドはそんな弟の姿にちょっと良心が咎めたが、この違和感を放置していると・・気が狂ってしまいそうだ。

散歩って・・どこへ? ホテルを出て、冷たい夜の空気を吸いながら、エドは自分の身体を抱いた。



・・やな夢を見てしまった。

リンはベットリと肌に張り付く髪を指ですき、こぶしで額に浮かぶ脂汗を拭う。
ランファンから『お二人に“そういうこと”があった』という衝撃の事実を聞いたためか、それともその時の記憶なのか・・結局、オンナを買いに行くこともできず、ランファンからは強烈な右ストレートパンチで抵抗されて、悶々としたまま眠りにつくハメになったのも原因かもしれないが・・どうせ性夢を見るなら、女体で見たかった。

『キショクワリー・・』

ぼやきながら、窓の鎧戸を開ける。夜明けが近いのか、暗い空の向こう側が、ほんのりと桃色に染まり始めていた。窓枠に肘をついて、ほてった肌を夜風に当てて・・やがて冷やしすぎたのか、くしゃみが出た。そのとき・・窓の下に緋色のコートが佇んでいるのを見つけた。ぎょっとして引っ込もうとしたのだが、くしゃみの声で気付いたらしく、すでにエドの視線はこちらに向いていた。



「寝れなくって、散歩してたら、たまたま偶然通りがかって・・」

「たまたま偶然、ネ・・」『あ、ランファン、熱い茶でもいれてやって』

いつものきちんと結い上げた髪型ではなく、乱れ髪を束ねただけのランファンが、生あくびをかみ殺しながら『ハイ』とうなづく。寝まきにしている薄衣が色っぽいが、実はその下には皮鎧を着込み、苦無(くない)を忍ばせていたりする。
・・宿というより小ぶりな貸家といった感じの間取りの部屋だった。入ってすぐはランファンが寝泊まりしているリビングダイニングスペースで、奥にリンが占領している寝室がある。あんな夢を見た直後だけに寝室に通すのも気が引けたのだが、そのおかげでソファに寝ていたランファンが追い出された格好だ。

『お茶が入りました・・あと、何か用があったら、呼んでください・・』

『おいおい、寝ちまうのかよ』

『美容と健康と、リン様の護衛のためです。いざというとき、寝不足では闘えませんから』

もっともらしいことを言って、部屋の隅まで毛布を引きずっていき、猫のように丸くなってしまった。
おーい、よしてくれよぉ、ふたりきりにするなよぉ、気まずいじゃねーか。これも一種の護衛なんじゃねーの?・・とは、本人の前では言えない。エドは両手で熱いコップを包んで、うつむいている。・・オレが、こいつと、ねぇ・・

やがて、ぼそぼそとエドが言いにくそうに「あの・・さぁ・・なんて言えばいいのかな・・俺、大佐とケンカしちゃってさ、なんか、寂しくて」などと喋りはじめる。リンはその続きの言葉が理解できないフリをしようとした。


・・抱いて、くんねぇ?


「あっ、もちろん、その、おまえにはそーいう趣味なんてないだろーし、そんな関係でもないのに、こんなこと頼むのもどうかしてるけど、なんてーか、その・・でもなんとなく、リンなら・・」

エドは、思い出しかけているのだろうか? オレが妙な既視感に悩まされているように?

「前に・・いや、オレも覚えていないンだが、俺達の間で、ソーイウことがあった・・んだとサ。いつか・・は正確には聞いてないけド、君と逢ってから間もないから、そう前のことでも無いんだろーナ」

エドが、それを聞いてがく然とする。やっぱり・・浮気してたんだ、俺。

「なんで、お前とそんなこと・・」

「サァ、オレも覚えてないのヨ。ランファンも詳しい事情とか顛末までは知らなイみたいでサ・・まあ、色々あって、忘れちまっタらしくてサ・・どーする? それでも抱いてほしイ? それとも、やってみたら、思い出せると思ウ?」

「・・うっそぉ・・ウソだろぉ・・そんな・・」

エドは相当ショックだったらしく、泣き出しそうになっている。

なんか最近、情緒不安定だよな、こいつ・・。

ちょっと可哀想になって、慰めてやるつもりで、手を差しのべた。
とりあえずエドを寝室に連れていこうと抱き寄せたとき、エドの体臭と機械鎧の油の臭いが混じりあった独特の匂いを嗅いで、確かにこの身体を抱いたことがある・・とリンは確信した。
そして、エドも同じことを感じたらしく、いっぱいに涙をためた瞳で、まっすぐリンを見つめていた。

『ランファン、服脱がせて・・ってヲイ、爆睡してやがる・・これで護衛が勤まるのかね』




アルフォンスは早朝の訪問者にきょとんとした。私服姿のロイ・マスタング大佐を見るのは初めてだったし、てっきり、昨夜はロイのところに行ったものだと思って、行き先も敢えてたずねなかったし、帰って来なくても気にせず放っておいたのに。

「あの・・兄は、そちらに行ったんじゃないんですか?」

「なんだって?」

「じゃあ・・兄さん、どこにいったんだろう? なんかに巻き込まれたんじゃなければいいんだけど」

「まあ、鋼ののことだから、なにかに巻き込まれたら、オオゴトになって目立つだろうから、すぐに見つけられるだろうが・・まさか、指令部の方に行って入れ違いになったのか? いや、今日は休暇をとっているということは知っているはずだし・・ちょっと電話を借りてくる」

ロイはフロントに行くと、軍の専用回線にかけてみた。一瞬、習慣でホークアイ中尉を・・と言いかけた。

「いや、その・・誰でもいいんだが」

「その声・・マスタング大佐ですか?」

「・・あ、シェスカか? なんでこんな君が・・ああ、そうか。今日は皆、対テロシフトだから・・いや、都合がいい。今日、何か・・大きな事件か事故はなかったかね?」

「いえ、今のところ・・」

「それから・・鋼の・・エドワード・エルリックはそちらに行ってないかね?」

「え? 今日はエドワードさんはお祭りに行くって、昨日・・」

「そうか・・ありがとう。後でまた、様子を聞く」

・・ダメか。フロント係に受話器を返しながら、ロイは頭を抱えた。そこにアルフォンスがそっと近づく。

「心当たりっていうか・・まさかとは思うんだけどさ・・兄さん、リンとこに行ってるんじゃないかなぁ」

「・・リン?」

「昨日、ちょっとケンカみたいになって、それから兄さんの様子がおかしくて・・もちろん、リンの宿なんて知らないはずなんだけど。だって、ボクもまだ教えてもらってないし」

「・・いや、可能性はあるな。鋼ののセントラルでの知り合いなんて、軍関係者以外は・・他にいないだろう?」

しかし、このセントラルに宿なんて何百あるというんだ? それを一件一件、しらみつぶしに当たるしかないのか? 気が遠くなりそうだが、他に方法も思いつかなかった。

「・・11時には、中央広場の噴水のところで、リンと待ち合わせしてるんだけど・・」

アルがぼそっと言う。ちゃんと来てくれるのか、なんとなく不安になってきた。

「11時な・・まだ時間があるから、少しでも宿を聞き込みして、探してみるか。アルフォンス君はここで待つかね?」

「いえ・・一緒に探します。もし兄さんが帰って来たら・・ウィンリィに頼んで引き止めてもらっておく」



「すげーナ」

「なにが?」

「君すんげぇ、インラン」

「・・ああ。久しぶりだから・・こういうの。ちょっと、がっついたかも」

「あれがちょっとかヨ。マスタング大佐んとこ行っても、シて貰えなかったって言ってたもんナ」

「多分、おまえとしたのが、最後だったんだと思う」

「その、最後の時のコトって、思い出しタ? その、話した内容とカ」

「・・全然」

「・・そっか。オレもダ。でも、寝たことだけは、チャッカリ覚えてたんダナ」

「それで、大佐とケンカになった」

「それは悪かったナ」

「こっちこそ・・なんか、ヤるだけが目的だったみてーで、悪かった」

「まァ、それはイイんじゃネーの? 男は女と違って、カラダ目的ッていうの、勲章みたいなモンだからサ、悪い気はアンマリしないもんダ」

「そんなもんかよ・・あのさ、ついでにもうひとつ、お願いがあるんだけど」

「ン?」

「ちょっとの間でいいから・・恋人のフリしてくれない? せめて今日だけでも」

「なんダヨ、オレに当て馬になれっていうのカ? オレは、君達の痴話げんかに巻き込まれたくネーよ」

「・・アルも、おまえのこと、好いてるみたいだし?」

「ま、それもあるかナ。ところで、君ら兄弟ってさぁ・・」

「いや、アルの邪魔をしようとか、そういうんじゃないんだ。ただ、今だけ、そうして欲しいってこと・・そうだ、今日の聖者祭も一緒に見に行こうよ。ホントは大佐と行く予定だったんだけど・・」

「祭り? オレ、アルフォンス君にも誘われてるんダヨネ・・三人で行ったらダメカ?」

「それじゃデートにならない」

「・・ンダヨ、オレのこと、ムカつくとかイケスカン奴っテ言ってなかったっケ?」

「でも、コッチの相性は悪くないみたいだし・・フフ」

「やっぱ君、すんげぇインラン・・まあ、イイさ、そういう演技は得意ダ」

「得意?」

「皇帝になるには、そういう修行も必要ってこと」

「なんだそりゃ」

「その代わりに条件があル」

「・・なに?」

「前の時のコト、思い出したら必ず教えてくレ。多分、賢者の石に繋がることだと思うガ・・こういうの、なんていうんだッケ」

「等価交換・・かな」




じゃあ、とベッドから降りて、リンがなにげなくランファンを呼ぼうとしたのには、エドも呆れた。

「なんで、ランファンを呼ぶんだよ?」

「なんデって・・行水して、身支度するんだケド」

「そんなん、自分でしろよ」

「・・ああ、ソーカ。庶民のキミらと違っテ、皇子はそーゆーノは、いつも召し使いにさせルノヨ」

「だったら、俺がやってやる」

「・・なんで怒ってるノさ?」

「あのなぁ・・フツー好きな男が他のヤツとヤッた後始末なんて、誰が喜んでやるんだっつの」

「別に喜んでしてくれなくても・・それが仕事だシナァ・・」

頭が痛くなりそうだが、文化と生活習慣の壁は乗り越えられそうにない。仕方なく、エドが2人分の身体を拭いて、身支度をさせるハメになる。

「・・つーか、頼むから、パンツぐらい、自分で履け」

「じゃあ、ランファン呼ぶ」

「てんめぇ・・」

最初はぶつくさ言っていたリンだったが、今は、面白がってニヤニヤしている。
意地になったのか、エドが思い切ったようにリンの足下に膝を付いて、下着とズボンも履かせた。ウェストの帯の結び方が分からず、ちょっと考え込んだが「降参?」と冷やかされたのにカッとして、適当に括りあわせる。

「一丁上がりっ!」

リンは結び目を見下ろして苦笑したが、とりあえずズボンがずり落ちないのを確認すると、それ以上は頓着しなかった。

「君、その赤コートで行くノ?」

「そうだけど」

「目立ツヨ」

言われてみると、確かにそうだ。会場には警備の軍人も多くいるだろうから、顔見知りに見つからないとも限らない。かといって、コートを着なければ、手足の鎧が丸出しになる。エドが頭を抱えていると、リンがパンパンと両手を打ち鳴らした。

「ランファン、こいつにお前の長衣貸しテやレ。ついでに、髪も結っテ・・」

「・・あーのーねー、おまえさ、さっき俺が言ったコトの主旨、全っ然理解してないだろ」

「リン様、その帯の結び方、なんですの? 直して差し上げます」

「あ? いや、これはこれでいいんだ。触らなくてイイ。それより、オレはこいつに服を着せテ、髪を結ってやれっテ言ったんダガ・・聞こえなカッタのカ?」

ランファンの瞳の奥に一瞬、暗い炎が灯るが、すぐにそれを隠すようにうなだれた。
多分正装用なのだろう、淡い青色の長衣を着せつけると、エドの金髪を・・サイドの辺りだけをすくい上げて結い、髪飾りで留めた。更紗のようなショールを羽織らせる。

「こんな・・シン国の服なんて、余計に目立つんじゃねーの?」

「だからイイんダヨ。見たヤツはシン国のオンナがいると思い込んでしまッテ、そのイメージが強すぎて、顔形までは覚えられナイもんだ」

「そんなもんかよ」

「ソソソ・・それに・・スンゲーカワイイ。どっから見ても、エドワード・エルリックには見えネーヨ」

リンは自分が予想していた以上の出来栄えの、エドの女装が気に入ったらしい。ンーカワイイ、と繰り返すとエドの頭を抱き寄せて額にキスした。エドはランファンの視線が気になったが、リンの胸を押して身体を引き剥がしたときには、ランファンの姿はもう室内になかった。

「な・・何すんだよ、バカッ」

「何っテ・・コイビトなんだろ? オレら」




外出してからも、リンは上手に“それらしく”振る舞ってくれた。いつぞやの人造人間ら相手の市街戦で、腰が抜けるほど内心はビビっていながらも、そんな素振りは全く見せずに振る舞ってみせたことから分かるように、リンは元々演技することが得意・・というよりは習い性になっているのかもしれない。

「確か、中央広場ってシェスカ、言ってたけど・・うわぁ、人、混んできたなぁ、おい」

「ハグレんなヨ」

エドがリンの衣の袖を掴もうとすると、リンの長い指がエドの左手の指に絡み付いてきた。

「ちょっ・・手まで握ってくれなくても・・こんなの、誰かに見つかったら」

「服掴んでるぐらいじゃ、引き剥がされルゾ。この人ゴミじゃア・・大体、見ても君だって分からないヨ」

「そ・・そうだね」

大佐の手なんて握ったことがあっただろうか・・リンの指の感触を確かめながら、ロイの指を思い出そうとする。肌の上を滑っていく指の腹の感触は全身に染み付いていても、その手が端正な顔立ち同様に整っていたのか、それとも軍人らしく鍛え上げられた手をしているのか、案外子どもっぽさを残していたのか・・覚えていない、というより知らない。指を絡めたことだって・・あっただろうか。
大体、いつも密室で、しかも薄明かりの中、肌を重ねるだけで。一歩外に出ると、お互いそんなコト忘れたように振る舞って・・だからこそ、今日の祭りぐらいは一緒に行こうって、無理してでも休みを取ってくれって、そう頼んだのに。

「・・気分でも悪イのカ? それとも疲れてルのカ? まぁ、あーいうノの後だから、疲れてるのは確かだろーケド」

「あ、いや・・なんでもねぇよ。ちょっと考えごと・・あ、あれが例の、山車か?」

ぎゅうぎゅう詰めで身動きがとれない群集を、傍若無人に押し退けるようにして、巨大な車があらわれる。それは塔のようでもあり、山のようでもある、異形のモニュメントを載せている。山には、実や鳥をあしらった飾りがゴテゴテついた樹が生えていた。

「オー・・こんなトコで『崑崙山』を見ルとはナァ」

「クーロンシャン?」

「不老不死の仙人がいるという伝説の山だよ」

「・・また不老不死、かよ」

「動機はそうだが、目的は君も同じ賢者の石、ダロ? アレが崑崙山なら、山頂にいルのは・・」

それは、ざんばら髪をした半神半獣だった。地母神とはいうものの、女性を思わせる要素は太い腰回りぐらいだ。

「あれが仙人なのか?」

「まぁ、そういうコトだね」

「あんな格好で永遠に生きるなんて、俺はイヤだな」

「死と引き換えられるんなら、外見が多少不格好なことぐらい、安いモンじゃネーノ」

「・・アルのこと言ってるのか?」

「いや、シン国の仙人の話。フツーの人間の身体そのものが、永遠には保たないと思われていたらしくて、修行者は好んで、異形の姿になりたがったり、身体を捨てたりしたがったんだ・・それにしても、えらく古いスタイルだナ・・ありゃあ、クセルクセス文明経由でも、かなり初期の頃に入って来たってコトだな」

もちろん、東西の錬金術がクセルクセスを経由して交流していることは分かっている。クセルクセス崩壊後なら、あの怪物はシン国でさらに神格化を深め、美しく艶かしい女神に進化していたはずだが・・「年代に矛盾がない」ということが分かっただけで、特に大発見というほどのものではなかった。結局、求めるものがある地は、ここではなかった・・というだけの話だ。
エドにとっても、それは期待していたほどのものではなかったらしく、もう山車には興味を失い、食べ物の屋台に目が行く。
苦笑しながら、リンも神像から目をそらした・・シン国の行者は西にあるといい、この国では遥か東だという“まほろば”・・シン国では崑崙山と呼ぶ仙境・・は、一体どこにあるというのか。やはりクセルクセスなのか? しかし今、あそこにあるのは廃墟と難民ばかりで。

「・・なぁ、これ食べようよ」

一方、エドは上機嫌だ。「お嬢ちゃんカワイイねぇ。どっから来たの? シン国? そりゃ、えらい遠くから来たんだねぇ。もう1個オマケしちゃおう」なんて店のオヤジに言われても、普段なら怒るところだが、今日ばかりはニコニコ愛嬌を振りまいている。変装をすることで、知らず知らずのうちにかぶっていた仮面・・国家錬金術師エルリック・エドワードとしての誇りや重責などから解放されて、気が楽なのだろう。

「・・リン? どうした? もしかして、俺ひとりで楽しんでない?」

「え? イヤ、楽しいヨ」

「本当に?」

「異国の祭りなんて物珍しいシ、こんな美人の恋人を連れ歩いてるンだから、ソリャー楽しいに決まってるサ」

いくらエドでも、それが本心だとはとても思えなったのだが、何度尋ねても、それ以上の返事は期待できそうにない・・なにしろ、そう振舞ってくれと頼んだのが、当のエド自身なのだから。そして厄介なことに、偽りの言葉だと分かっていても、今のエドの耳には心地よかった。

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