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砂の記憶


2 蘇


「こんばんわー・・あれ、大佐は?」

東部指令部では、個室を持つことを許されていた大佐だが、中央指令部ではまだ、個室はなく、他のスタッフらと同じ大部屋で、辛うじて離れ小島のように単独のデスクを与えられている程度だ。
もうひとつ、階級が上がれば、立派な執務室があるんだがね・・などと言って、ロイは意味シンに笑ってみせたものだ。
その大部屋はがらんとしており、ひとりリザ・ホークアイ中尉がビスケットをくわえたまま、書類を繰っていた。普段は滅多にみせない行儀の悪い姿に、エドはきょとんとし、リザは慌てて片手で口を覆うと、ビスケットを飲み込んだ。妙な沈黙と、やけに大きく響く、ショリショリという咀嚼音。それを飲み込むまでの間、ふたりともなぜか固まっていた。

「え・・エドワード君・・?」

リザは、ちょっときまり悪そうな顔をしている。まあ、この人だって人間なのだから、こんな夜遅くまで残業していれば、当然、腹もへるだろうし、お菓子ぐらい食べるだろう。

「え・・えーと・・大佐は?」

「さっき、仮眠室に」

「めちゃくちゃ忙しいって言ってたぜ?」

「少しは寝ないと、かえって効率が下がるから」

「そう・・仮眠室って、出て右だっけ?」

「え、あ、左・・」

いつもだったら、大佐は眠っているのだからとか何とか言って、ぴしゃりと断わられるところなのだが、やはりつまみ食いを見られて動揺していたせいだろう、リザは思わず、そんなことを口走ってしまう。
あ、でも行かない方が・・というセリフが思い浮かんだのは、エドがとうに部屋を出た後であった。




仮眠室には窓もなく、狭い空間に二段ベッドが3つほど並んでいるだけだった。
眠っているかと思ったが、ロイはただ、そのマットがぺしゃんこで固いベッドの下の段に、毛布もかけずに横たわっていただけだった。

「・・起きてたんだ」

「こっちに来ると言っていたからな。眠っているわけにもいかんだろう」

「眠っていて、時間をロスするのが惜しいってか?」

「というか・・君だったら、寝ている間に、顔に落書きでもしかねない」

「ひっでーなぁ、俺がいつ、そんなイタズラしたよ」

「したじゃないか」

そうだっけか・・リンには確かに、寝ている顔に落書きしたことあるけど・・あれ、大佐だったっけか。ランファンに後でモーレツに叱られたと思うんだけど、あれはホークアイ中尉だったのかな。いや違う、ウィンリィだった? ヤバいヤバい、もしかして俺、記憶が混同している?・・と、エドは内心あせりまくった。
そして、ロイも「ほら、あれは・・」と言いかけてやめてしまう。

鋼のじゃなかった・・かもしれない。かといって、私にそんな不届きなことをする豪気なオンナなんているわけがなくて。そして不意に、学生の頃、自分が親友にしたんだっけと、思い出した。
先に寝てしまったのが、妙に腹が立って、眼鏡のレンズにぐるぐると渦巻きもようを書いて・・翌朝、取れないじゃないかと叱られた。視力の弱い人間にとって、眼鏡がどんなに必要不可欠で大切なものかと、ロイにとってはどうでもいいことを、とうとうと説かれて・・ってことは、鋼のは濡れ衣じゃないか。
ま、どうせ、やりかねない性格なんだがね。昼間、リンの髪を引っ張ったガキっぽい仕草を思い出す。丸で年端もいかない子どもが、好きな子をいじめるようだった。

「・・あれは、って?」

「いや、そんなことは、どっちでもいい。来なさい、鋼の」

「なんだよ、いきなりかよ。がっついてんなー」

「私ではなく、君だよ。どうせ、それが目的だろ?」

「ひっでーなぁ」

後ろ手で、ドアに鍵をかける。

「君は弟さんの分まで、食欲と睡眠欲を貪っているらしいじゃないか・・多分、性欲もなんだろうな」

「うーん・・そうかもな」

そうだとすると、大佐とこうして逢っている間も、リンのことが気になって仕方なくて・・今日の昼も、他の男とリンが仲良くしている姿が異様にむかついた理由が説明できる。
俺とアルの精神が混線しているから、アルの想いが俺の精神に紛れ込んでいるのだろう。

「なあ、なあ、今日はちょっと、お疲れの大佐にサービスしてやろーか」

「・・何を企んでいる」

「はいはい、そのまま、そのまま」

エドはベッドに乗ると、ロイの腰をまたぐように膝立ちの姿勢をとった。ロイを見下ろしながら、ベルトのバックルを外す。ズボンのジッパーだけ降ろすと、今度はロイのウエストに手を伸ばした。

「なんか、妙な感じだな」

「趣向が変わって、興奮しねぇ?」

「別に・・やっぱり何か企んでるだろう。気色悪い」

「ってか、こわい? 大丈夫、ヨくしてやるよ。あ、ちょっと腰あげて」

スボンと下着を、一気に足首まで引きずり降ろす。よしよし、準備完了っと・・額にかかる前髪を耳にかけながら、ロイを見下ろした。その困惑した表情に色気を感じて、思わずのどが鳴る。

「よさんか。のけ」

「たまには、俺が口でしてやるっつってんだぜ?」

起き上がろうとするのを鎧の右手で押しとどめながら身をかがめて、萎縮しているものに唇を触れる。

「・・どういう風の吹き回しだ?」

「別に。レストランの豪華料理はキャンセルになるわ、迎えに来てくれるはずがこっちから行くハメになるわ、スィートルームは汗臭い仮眠室になるわ・・そんな、超オイソガシー大佐を慰労してやろーと思って」

「それは怒ってるのか? 今度埋め合わせるから・・おい、こら、よさんか・・」

そして、一気に口に含む。まだ、このサイズなら根元までくわえても苦しくはない。吸うように口の内側で揉むと、ロイ本人の意志に反して、それは少しずつ大きさと硬度を増して、屹立し始める。のどの奥をつきそうになったので一度吐き出し、代わりに舌と唇で、根元からなぞり上げる。

「・・口でするのは、気持ち悪いって言ってなかったかね?」

「そんなの・・始めの頃の話だろ?」

「ついぞ、こんなことしてもらったことは無いと思うがね」

「だから、たまにはしてやるっつっただろ? 大サービスしてやってんだから、素直にキモチイイとか、ウレシイとか言えって」

「・・言えるかっ」

「じゃあ、言うまでヤる」

「・・それは仕返しのつもりか?」

「うん。だって大佐、いつも俺にそう言うじゃん」

見上げて目を見据えながら、舌で唇を舐めてみせた。いつぞや、リンがしてくれたのを思い出して真似しながら・・まるで挑むように、大きく口を開けて、舌の動きが見えるようにしながら、再びしゃぶり始める。わざと舌を鳴らしてぴちゃぴちゃと音をたててやった。
歯を食いしばって、熱い息がもれるのを我慢している様子で・・おいおい、そんな、眉を寄せて色っぽい顔したら、こっちまで興奮してきちゃうじゃないか。

「・・なぁ、入れていい?」

「私が掘られるのは、ごめんだぞ」

いっそ、このまま襲ってしまいたい衝動を抑え、エドは自分のスボンと下着を脱ぎ捨てた。大佐は上半身軍服のまま、エドはボレロを着たままだ。
いきなりで・・大丈夫かな? だが、自分でゆっくりと揉みほぐすだけの余裕はさすがになかった。片手を添えて、入り口に当て、体重を乗せて一気に腰を下ろす。

「おいおい、いきなり・・」

「・・痛い?」

「いや、私は・・君は痛くないのか?」

痛くないわけはないが、自分でコントロールできる分、まだマシかもしれない。呼吸を整え、おもむろに腰を揺すぶり始める。
・・あ、この体位だと、こっちがヤッてる状態と視界が同じだ・・そう気付くと、エドはますます高揚した。白いシーツに広がったリンの黒髪が思い浮かぶ。
両手をロイの胸板に乗せるようにして、覆いかぶさった。柔らかい乳房こそなかったが、硬く膨らんだ小さな乳首を代わりに弄ぶ。いつもならエドの方が嬌声をあげているところだが、それよりも相手を啼かせてみたいという欲求がエドを突き動かしていた。

「ああ・・」

ついに、小さく声を漏らしたのは、ロイの方だった。エドの口元がつい、ゆるむ。
やったー・・相手のあえぎ声が、こんなに嬉しいものだとは思わなかった。

「気持ち良い? 感じる?」

「そんなこと、言わせるな、バカモノ」

「俺は、いつもあんたに言ってやってるだろーが・・な、気持ち良いだろ?」

「・・まあ、な」

ロイの両腕が、エドの首に巻き付く。エドはその反応にドキッとする・・大佐って、ホントはこっちのケがあるのかよ? それとも、実はケーケンあるとか・・そういえば、俺を初めて抱いたときにも、どっか慣れたような感じがあった。
あのときは、女性での経験があるからだと思ってた。男を抱くのは初めてだと主張していて、それを信じていた。
でも本当は・・抱くのは初めてでも、抱かれた経験があったってことじゃねぇ?

それに思い当たると、カッとした。



唐突に腰を引いて・・足の位置を替えた。ロイの膝を割る。ロイもエドの目論見に気付いたらしく「よさんか、バカモノ」などと言いながら、胸を押して逃げようとした。エドは右手で、ロイのばたつく太股をがっしりと抱え込んで・・ロイが身体を反転させた。
うつ伏せ? かえってヤリやすいじゃん。
身体を引こうとするのを、上着の衿首を掴んで引き戻す。ロイがシーツに爪を立てた。




下腹部の痛みに一瞬、意識が遠のく。代わりに脳裏をよぎったのは、土の湿りけと草の青い匂いだった。
ぬかるんだ泥がシャツの裾から、衿から、入り込む。自分を守るはずの銃剣がジャマで、身動きが取れない。視界ゼロ。粗いコットンの布・・多分、戦闘服のジャケット・・を頭にすっぽりかぶせられていた。
相手が何人か、分からない。うつぶせに押さえ付けられ、遠のく意識を地面に爪を立てて引き止める。爪がはがれたかもしれない、激しい痛み。だが、その痛みを味わっていないと、別の痛みに神経が向いてしまう。いっそ、失神できれば楽だったのだが、頭を銃把で殴りつけたヤツがノーコンか、あるいは腕力が足りなかったせいで、気絶もできない。そして・・




苦し紛れに振り回したロイの手が、ベッドの柱に当たった。錆びかかった鉄パイプの柱・・気付いて、思いきり腕時計をはめた手首を打ち付けた。ガシャンという音と共に、火花が散って・・ごぉ、という音が一瞬、何を意味するのか、エドには理解できなかった。

異様な匂いとチリチリというかすかな音で、自分の髪が数本、焦げていることに気づき・・なぜ髪が、と思ってようやく、思い当たった。

ロイ・マスタング大佐が、焔の錬金術師であることを。




「ばっ・・なんでトートツにっ!」

だが、返事はない。ロイは組み敷かれたまま、呼吸すらしているかどうか分からない。そして、室内はあちこちが焼けただれて、黒くくすみ、所々がまだプスプスとくすぶっていた。

「・・おーい、大丈夫・・かよ?」

身体を裏返してやり、ぴたぴたと頬を叩くが、反応がない。目を閉じている顔が、いやに幼く見えた。もしかして・・医者とか呼んだ方が良いわけ? 俺、この状況をなんて説明したらいいんだろ?
エドもパニックに陥って少しの間、固まっていたが、ドアをドンドンと叩く音で我に返った。

「今の音、何? エドワード君、そっちに大佐がいるんでしょう? 無事なの?」

リザ・ホークアイ中尉の声だった。
えーと・・大佐はいるんですけど、無事じゃないです・・リザがノブをガチャガチャと鳴らして・・すぐにパンパンという乾いた音が続いた。
肌身離さず持っている拳銃でノブを壊した音だと、とっさに気づいた。強行突入するつもりらしい・・って、俺たちがこの状態だってーのに?
エドが、両手を打ち合わせて、壁に手をついた。錬成で、壁土が津波のように変形し・・盛り上がった床や壁のうねりが奔って、ドアを塞ぐ・・間一髪だった。向こう側で、ドンドンとドアに体当たりする音がする。

「・・開かないわ。そっちは、大丈夫なの?」

えーと、大丈夫というか、大丈夫じゃないというか・・リザが半狂乱になって心配しているというのに「今ドアが開かないのは、俺の仕業でーす」とは、とても言えない。

「あの、ちょっとこっちでケンカして・・それでついカッとなって、術を使っちゃったんだよ。すぐに部屋直すから、ちょっと待ってくれない?」

「大佐は無事なの!?」

「えーと、あの・・ともかく、少し待ってくれよ」

「無事なの? そうじゃないの? ・・いいわ。今から10分だけ待つわ。1秒でも遅れたら、ニトロで壁ぶち抜いて、そっち行くわよ」

ニトロでって・・あーた軍司令部内で、ダイナマイト発破かける気ですか? いや、彼女の場合、大佐のためだったら、それぐらい平気でやりかねない。
エドは大慌てで服を着て、ぐったりしたままの大佐にもとりあえず服を着せてやる。皮肉にも、リンの身支度をするクセがついていたのが役立った形だ。
いやほんと、フェラのテクといい、コレといい、浮気の効用っていうのも評価してほしいもんだね・・なんて言う俺も、もし大佐が浮気してたら、その成果なんて考えたくもないんだけどさ。

「大佐ァ・・頼むから、早く起きてくれよぉ」

もう一度、頬を軽く叩いてみる。ロイの目が微かに開き、焦点の合わない瞳で見つめられた。

「・・中尉・・じゃないな。マースは・・ここは・・ああ、違うのか・・夢、か」

「夢って・・アンタ、まさか寝ぼけて、この有り様なんじゃねーだろーなぁ!?」

「大きな声を出すな、頭に響く・・」

ともかく、意識が戻ったのには一安心した。あとは、室内を錬成で元に戻して・・と。

「10分たったわよ」

「だーっ、タンマタンマ! 今開けるからっ!」

エドがあせって扉を開けると、防護服を装着し、肩に大型火器までかけて完全武装したリザが、本当にニトロがしみ込んだ粘土を壁に貼って、今まさに発火装置を押そうとしているところだった。
多分、10分というのは、この準備にかかる最小限の時間だったのだろう。

「大佐は?」

「大丈夫・・だと思う」

「そう」

リザは、慣れた手付きで爆薬を片付ける。ニトロは気化した成分を直接吸い込むと中毒症状を起こすためにゴーグルにガスマスクまで装着しており、それを額までずりあげて素顔を出した。エドを押し退けるようにして、仮眠室に踏み込む。

「中尉・・なんだ、その戦場のような格好は」

「お戻りが遅かったので、起こしにきたんです」

「バスーカー砲かついでか」

「ロケットランチャーです」

「そんなの、どっちでもいい」

「お加減が悪そうですが・・どうされました?」

「・・悪い夢をみた。それだけだ」

「・・ひどい汗。どうやら、今日はもう、お帰りになった方がよろしいようですね。ご自宅までお送りします・・仕事は私が引き継ぎますから」

「鋼のは」

「エドワード君も、私が後でホテルまで送ります」

有無を言わさぬ口調だった。いや、ヘタに口答えしたら、そのままロケットランチャーをぶっぱなしかねない険しい形相だったという方が正しい。



「ホークアイ中尉・・つかぬことを尋ねるが・・」

「なんです?」

「士官学校の卒業試験を兼ねた・・一般兵と士官学生の合同野外演習の事・・覚えてないか? 君は一般兵だったろ? 学科と銃刀取扱の講習の後、あれに参加したはずだが」

「え・・ああ、ありましたね。そんなのが。あの程度の訓練で戦場に放り込まれたのだから、ひどい時代でしたね」

「その演習のとき・・事故とか、トラブルとか・・」

「さぁ・・覚えていません」

そう答えるリザの、ハンドルを握る手が微かに震えていのだが、ロイはそれに気付かなかった。

「多分、そのときの夢を見たんだと思う。私もはっきりと思い出せないんだが・・暴行事件か何かに、巻き込まれたのか・・そんなことがあったら、覚えていないはずがないんだが、ね。妙にリアルだった」

「あまり、思い出されない方がよろしいかと」

「やはり何か・・あったのか?」

「そのような事件は、記録にないと思います」

「何か知っているなら、話してほしいのだが」

「ですから、覚えていません」

ロイは、無意識に胸の辺りで服をかき合わせていた。あの記憶の中に、リザとヒューズがいた・・だが、ヒューズはもうこの世にはいない。

「あんな夢をみた後では、ひとりでは眠れそうにないな。添い寝でもしてくれる女性がいると、助かるんだが」

そう言いながら、ちらりとリザを見る。今朝抱きついたときの肌の匂い、胴の柔らかさを不意に思い出したせいもある。
だが、リザは表情を変えずに車をターンさせた。

「でしたら・・大佐の馴染みの女性がいるお店までお連れします。先日アタックしていたのは、東ブロックにあるお店でしたよね」

「そ・・そういう意味で言ったのではないのだが」

「では、どこまでお連れします?」

「・・自宅でいい」

「添い寝する女性は手配しなくてよろしいですか? それとも男の子の方が?」

「いや、結構だ」

こういうとき、彼女がビジネスライクに有能なのか、それとも単にイジワルなのか、まったく分からなくなる。車は再びUターンして、大佐の部屋があるアパートメント前に着く。

「明日は、大佐は午後から出る・・ということにして、届けを作って、出しておきます。大丈夫、大佐の筆跡の真似は得意ですから。ゆっくりしてください」

感情を殺した声でそう言い残して、車は走り去った。




「だから、男女混成のチームなんて、イヤだって言ったんだ」

あのとき・・ボロボロになって倒れていたロイを抱き上げたヒューズが、そうボヤいたのを覚えている。

「こいつ、アンタに気があるようなこと、言ってなかったか?」

「・・別に・・場所を変わろうかって・・マスタングさんは狙撃が苦手で、私が得意だからって、それだけ・・」

「ロイは狙撃が苦手な訳じゃない。多分、当初のターゲットは君だったんだ」

「えっ?」

「こういう組織の中では、優秀で生意気な女は嫌われるからな。こういうドサクサでリンチがてら、ヤってしまおうかという噂はたまに聞く・・で、こっそり君と配置を替えて、庇ったんじゃないか?」

「そんな・・」

思い当たる節はある。最初の連中は、押さえ付けた相手が男だと知って、動揺した様子だった。だが、その中のひとりが「これはこれは。誰かと思えば、優等生のロイ・マスタング君じゃねえか、こいつでも構わない。たっぷり痛めつけてやろうぜ」などと言い出したのだ。

「狙撃が得意なら、こうなる前に、威嚇射撃でもしてくれれば良かったのに・・いや、愚痴っても始まらないな。落第扱いにはなるだろうが、俺達は下山する」

「えっ・・あの、私も・・」

ヒューズはじろりとリザを見下ろしたが、やがて思い返したように「そうだな。この状態じゃ、いかにも丸腰でターゲットにしてくれと言わんがばかりだものな・・じゃあ、安全地帯まで援護を頼む・・えっと、アンタ、名前なんていったっけ?」と言った。

「リザ・・リザ・ホークアイです」

「自分はマース・ヒューズだ。じゃあ、ホークアイ君、頼むよ」

その口調は、女性に対するものではなく、男性の同僚に対するものであった。
女性混成チームの方が、男性の志気が上がる、と一般的によく言われているが、実は統計学的に見ると、男性だけの隊の方よりも生存率が低い・・というデータを、リザが知ったのは後のことだ。つい女性を庇ったり、いいところを見せようと無理してしまうのが原因なのだそうだ。
だからこそ、ヒューズはあんなことを言ったのだろう。
「女性兵士が増えたのは、有能な女性が増えたから」などともてはやされたのは、単に徴兵できる男が減って、女性で穴埋めをするようになったことに対する言い訳だったのだろうか。

もう二度と、同じ失敗は繰り返さない。
女を戦力に加えたのが間違いだった、などとは二度と言わせない・・

だから、リザは自分の中の“女性”を封印してきた。
それなのに、この前の市街戦で・・マスタング大佐が殺されたと聞いて、思わず我を忘れてしまった。女としての“想い”が溢れて来て、戦意を喪失してしまった・・そのことについて、マスタング大佐に「敵の言葉を信用するなんて」と叱られたが、これがヒューズだったら「これだから、女は・・しゃしゃり出て来ないで、とっとと家庭に入れ」などと言われたことだろう。



それが、口惜しい。
それなのに、こんな夜は・・寂しい。



思い出を振り切るように、乱暴にステアリングを操作して、指令部の前でポツンと待っていたエドの前で、車をキュキュキューッと悲鳴のような音を立ててスピンターンさせて、急停車した。



送り届けるというより、囚人護送のような雰囲気で、エドは車に押し込まれた。

「大佐に何をしたの?」

冷やかやに、しかしいつ暴発するか分からない無気味さをたたえた笑みで尋ねられる。多分、取り調べってヤツは、こんな調子で始まるに違いない。

「え、その・・いつものように、ちょっとした言い争いをしてて、それがエスカレートしちまって・・」

「いつものように、ね。差し支えなければ、具体的な内容を教えてくれない? 何をどう争ったっていうの? 争点は何?」

「それは・・」

「言えないようなことなのね」

エドが言い訳をでっち上げる前に、リザはピシャリとそれを封じた。

「ま、大体、何をしてたのかは想像つくけど」

一体どんな想像をしているのかは、恐ろしくて確認できないが、あながち見当外れでなさそうなのがコワイ。

なんだよ、ちょっと押し倒してヤっただけじゃねーか、いつも俺がされてることじゃん、そんなオオゴトかよ・・とは、口が裂けても言えない。

「なあ、中尉・・思ったんだけど、大佐ってさ、昔、なんかあったのかな・・その・・」

リザはそれには答えず、急ブレーキを踏んだ。

「着いたわ・・せっかく指令部に遊びに来てくれたのに悪いわね。こんどは、もっと早い時間・・みんながいる時においでなさい。じゃあ、おやすみなさい」


エドが、車を降りるや否や、振り落とすように、車は走り去った。
その勢いにエドが尻餅をつきそうになったほどだ。タイヤが叫ぶ音がうるさかったのか、周囲には窓をあけて外をうかがう住人が数名いた。
エドは逆に、その窓の灯りを仰ぎ見て・・自分達が借りている部屋にも明かりが灯っていることに気付いた。

俺は消してきたはずで、ということは、アルはもう帰ってきてるのか・・もちろん、アルにはカラダがないのだから、いくらリンになついてみても肉体関係にまでは到らない訳で・・まあ、それはリン自身も避けてるようだし・・だから、不貞の兄のように“お泊まり”にはなりにくいわけで。


・・ってことは、リン、あいてるな。


反射的にそんなことを考えた自分が浅ましい。
だが、ロイを襲ってみたものの不完全燃焼で、気分がやたら高揚しているし・・いや、そうじゃない、リンに昼間のことを問いただしたいのかもしれない。いずれにせよ、このまま部屋に戻れば、アルに八つ当たりしかねなかった。
いや、リンだったら八つ当たりして良いってことじゃないけど。

正面から行っても、ランファンに阻止されるのは分かっている。
リンの宿の前まで来ると、その部屋の鎧戸目がけて、石を投げてみた。ひとつ、ふたつ・・しばらく待って、もう一個投げようと構えたときに、鎧戸が開いた。

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