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Wild Cat


2 眠れぬ夜に


それは、イシュヴァールの内乱でのこと。



「にーくがくいたーい、やーきにーくがーくいたーいなーっと、くらぁ」

歌にもなっていないダミ声を張り上げてジャガイモを剥いているのは、大柄な一般兵の青年であった。ノックスは今日の夕食当番らしい青年の、その即興の歌を聞いて初めて、そういえば最近、食事がジャガイモや乾パンばかりであることに気付く。夕食当番にしてみれば、大量のジャガイモの皮剥きさえ終われば、あとは大鍋でそれらを煮て、調味料をぶち込むだけなのだから楽といえば楽なのだが、やはり年若い連中に肉っけ無しの食生活は、堪え難いに違いない。
医薬品だけでなく、食糧の供給も乏しくなっているのか・・まったく、後方支援の連中は何をしているんだろう?

「ノックス先生、知ってます? このへん、山猫が出るらしいっすよ。捕まえて食おうかって、皆で話してるんす」
「猫は食っても、美味くないらしいぞ」
「そっすかぁ・・でも軍馬、喰うわけにはいかないし・・ちょっとぐらい不味くてもいいから、肉食いてぇよぉ」

青年の愚痴に、ノックスは微苦笑を返す。
ノックス自身は肉を食べたいなどとは、これっぽっちも思わなかった。もし今、ジューシィに焼けたステーキを目の前にしても、ノックスの目には「食事」ではなく「死体」に映るに違いない。そして多分、あの『焔の錬金術師』にとっても・・。

「ハボック! メシまだかよ!」
「うっせーなぁ! 今、やってるよ!」

ギャーギャーと若い連中が陽気に騒いでいるのを背中に、ノックスはとぼとぼと、自分に与えられているテントに戻った。悲惨な戦場だが・・いや、悲惨であるが故に、彼らは精神の均衡を取ろうと、無理矢理ハイになっているのだ。多分、一部の連中は軽いドラッグをやっているだろう。戦闘の恐怖心を麻痺させ、憂さを晴らして、彼らが“使える”状態を保つために、支給されているものだ。
だが、それぐらいの“気休め”では追い付かない重症者もいる・・例えば、薬の危険性を知っているがゆえに、トリップできないノックス自身や・・ノックスのテントに居着いている黒髪の青年だ。




「・・補給部隊はまだなのか?」
「ああ、来てないな。食糧も乏しくなってるようだな」

その青年・・膝を抱えるようにして、ノックスの簡易ベッドの上にうずくまっているロイ・マスタングの暗い表情に、あのハボックと呼ばれていた陽気な青年の話でもして気を紛らわせてやろうかとも思ったが、あの歌を再現するのがバカバカしくなって、ノックスは話すのをやめた。

「麻酔用のモルヒネも、もう無いんだろう?」
「どっかのガキが吸わなきゃ、まだあったはずなんだがな。今度ドンパチがあって重傷者が担ぎ込まれても、麻酔なしで手術せにゃならん・・気の毒に」


「まるで上層部が意図的に、死傷者を増やそうとしているみたいだな」


ロイがボソッと物騒なことを口走り、ノックスはギクリとする。それは、ノックスだけでなく、前線の部隊全員が薄々感じていることだろう。だが、上官を疑い批判することは許されない。それが軍隊というものであり、軍律というものだからだ。
「まさか・・数日前に雨が降って、足場が悪くなったってんで、補給部隊がどっかで往生してるだけだろ、多分」
ノックスは、わざと大きめの声でそう言ってロイを言外にたしなめたが、ロイは「どうだか」とふて腐れたように言った。
実際、求めていた鎮静剤がもらえずに、かなり機嫌を損ねているのだ。外に聞こえて上層部のうるさ方の耳に入ったら、おおごとになるというのに。

「もうずっと、眠れないんだ。どうしてくれる」
「知るか・・ああ、そうだ。一般兵の連中が、山猫狩りをするんだとよ。若者らしく参加してきたらどうだ? 気晴らしになるだろうし、身体を動かしたら少しは眠れるだろう」
「私に、連中と一緒にバカをしろと?」
「こんなとこでウジウジしてるよか、マシだろ」

彼の戦い方は、ほとんど体力を消耗しない。ただ、念じるだけで、相手を火だるまにして焼き殺す・・同じ殺さねばならぬ立場なら、肉体を酷使して頭の中が空っぽな状態で“殺戮マシーン”になりきってしまった方が、よっぽど楽に違いない。精神疲労が癒えることなく蓄積していくのを、ずっと鎮静剤で誤魔化し続けていたのだ。

「身体を動かしたら少しは眠れる・・か」

ポツンとロイが呟く。ノックスはその意図を図りかねたが、わざわざ知りたいとも思わなかった。大体、カルテを仕上げる作業がまだ山ほど残っている。ノックスは、ロイをほったらかしにしたまま、机に向かった。振り向けば、粘っこく絡み付くロイの視線に気付いただろう。




遠くで、獣が長く長く尾を引いて啼く声が聞こえた。それはどこか、女の哭き声にも似ていた。




「・・えっ?」

その声にかき消されて、ノックスはロイの言葉を聞き損ねた。呼び掛けられたらしいことは分かったので、一応、振り向いて聞き返してやる。目が合った。まだ若いはずの黒い双眸は、ひどく暗い光を灯していた。

「・・いや、なんでもない」
「そっか。おりゃあ、てっきり・・」

てっきり、誘われたのかと思った・・という言葉は飲み込む。ノックスは「妻が待っている」と思うせいなのか、慰安婦や女性兵士相手ではあまりソノ気になれなくて、女っけの無い生活が続いていた。だが、性欲までが失せたわけではない。現に、獣声が女のすすり泣きに聞こえたほどだ。だが、まさか、男相手にその気になりかけるなんて、どうかしている。

「・・てっきり?」
「なんでもない。ほら、いくら待ってても1錠も出してやれないぞ。無いもんは無いんだ。諦めて自分のテントに帰れ。酒だって、俺が大切にとって置いたのを、飲み干しやがって・・」
「・・眠りたいんだ。身体を動かしたら少しは眠れる・・んだろ?」
「はぁ?」
「薬が無いなら無いなりに、処置してくれ。あんた医者だろ?」



ノックスの回答を聞く前に、ロイは勝手に相手がOKしたものと決めつけたらしく、ゆっくりと簡易ベッドの上に横たわり、分厚い上着をはだけて、血管が透けて見えそうなほど白い胸元を露わにする。だが、婉然とした笑みは強がって作り上げた表情であるらしく、実際にノックスが引き込まれるように手を伸ばすと、ビクッと全身が震えた。

「・・こわいんだろう。やはり、自分のテントに帰れ」
「あっちに帰っても、眠れないのは同じだ」
「掘ってもらいたいなら、別のやつに頼め。お前さん、仲のよいヤツがいたじゃないか。なんていったっけ? ほれ、眼鏡の・・」
「患者を放り出すのか」
「誰が患者だ、マセガキが・・ほら、起きて、帰れと・・」

ノックスが、ロイの腕を取って起きあがらせようとしたが、逆にその腕を捉えたロイが、ノックスを引き寄せて強引に抱きついた。ロイの、怯えた小動物のように早く乱れ打つ鼓動が伝わる。

「・・いいんだな?」
「それで、眠れるんなら・・」

ロイが目を閉じる。その面貌が幼さを残しており、どこか中性的なのが、ノックスの抵抗感を辛うじて和らげた。






・・だが、最後の最後の一線で、唐突な抵抗にあった。
つい先ほどまでは、むしろ積極的に四肢を絡め、昂る腰を押し付け、甘く鼻を鳴らして、娼婦のように振る舞っていたくせに。

「やだっ・・嫌ッ・・助け・・っ!」
「・・分かった分かった。冗談だ。もうしない。しないから落ち着け・・そんな大声を上げられたら、さすがに衛兵らが・・」

慌ててなだめながら口を塞ごうとするが、暴れるロイに指を噛まれそうになる。危ういところで手を引っ込め、脱ぎ散らかしたシャツを掴んで口にねじ込む。完全に声を封じられる寸前、ロイが「マース・・」と叫ぼうとしたことに気付くが、ノックスにはそれが誰かはピンと来なかった。
ただ、ロイがノックスとの行為に怯えているわけでなく、何か別の幻覚を見て錯乱したらしいことは気付いた。ノックスが手を離しても、なおもなにやら喚いて暴れようとする。仕方ないので毛布で全身を包んで、ロープで巻いておくことにした。

・・随分長いこと、ねだられるままに鎮静剤だの精神安定剤だのを与えてきたのだが、それらの影響で、バッドトリップを起こしたのかもしれないな・・と考える。その割には、中毒患者独特の自律神経が狂った症状・・左右の眼球が別の方向を向いているとか、落ち着き無くあちこちが痙攣するなど・・が診られないのだが。ただ、ひたすら何かに怯えているようだった。
もしかしたら、なにかのトラウマがあったのかもしれない。

薄情だが、そのままロイを床に転がしておきながら、ノックスは机に向かって仕事を片付けることにした。
しばらく暴れていたようだが、カルテの山をあらかた片付けた頃には、気を失ったのか、暴れ疲れて眠ってしまったのか、すっかりおとなしくなっていた。

「・・まぁ、いいか。眠れたんだったら」

ロープを解き、抱き上げてベッドに寝かせてやる。そんなひどい仕打ちを受けたと知ってか知らずか、眠りながらもロイが甘えるように、指を絡めてきた。






ロイの友達の眼鏡なら、昨日のロイの状態に何か心当たりがあるかもしれないと思い、ノックスは早朝、ロイが起きるのを待たずにテントを出た。
芋を煮ているらしい匂いを嗅いで、昨日、自分とロイが夕食を食べ損ねたことを思い出して、途端に空腹を覚える。腹が減っては・・ってヤツだな。友人殿を探すのは、飯を食ってからにするか。

「肉は調達できたのかね?」

尋ねると、昨日と同じ大柄な青年・・ハボックが、昨日には無かった絆創膏を数カ所貼った顔を上げて、苦笑いしてみせた。

「いやぁ、ヤツら用心深くって」
「だろうな・・スープをふたり分、もらおうか」
「今度は捕まえてみせるさ・・ところで補給部隊、一体いつ来るんすかねぇ?」
「さぁ・・私にもわからん。無線技師に、連絡がつかないか聞いてみたらどうだ?」
「その手があったか! おし、フュリーあたりに聞いてみよう」

この若者の元気を少し、あのガキにも分けてやれれば良いんだがな・・ノックスは内心、そうつぶやいた。

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【後書きその2】シリアスは苦手なので、雰囲気を明るくするために、ハボックを登場させてみました。・・って、その間抜けな「焼肉の歌」はなんなのだ・・orz
あと、マスタング巻き・・鬼畜なノックスを書こうと思っていたはずなんですが、なんだか斜め45度ぐらい曲がった世界に逝ってしまいました。ロイ、可哀相すぎる。全然、愛情ねーぞ、ノックス・・次号では挽回できるのか!?
初出:2005年6月14日

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