3 幻中歳月
来客だというのでお茶を煎れて持ってきたランファンは、フーと向かい合わせに座って、こちらに背中を見せている姿に一瞬、リンがお忍びで来ているのだと思ったのだが、すぐに違うと分かった。
『ああ、ランファン・・今日もキレイだね』
『レイ様ですか』
リンとレイは、父方から言えば異母兄弟であり、それぞれの母は双子なのだから、似ていて当然だ。時には、リンの影武者を勤めることもあるほどだ。そのレイが夜分に何の用だろう、とランファンは訝る。
『まいったな。ランファンにはすぐに見抜かれる・・母上ですら見誤るというのに』
レイは肩をすくめたが、ランファンは表情を変えることなく、レイの前に茶を置く。
『外見はいくら同じでも“気”は違います。私は武術の修行でそれを会得しました』
『ああ、その可憐な細い身体で武術だなんて・・ホント、兄貴は女性の扱いを分かっちゃいない。それはそうと、お茶をもうふたり分、用意してくれないか?』
『来られてからお持ちした方が?』
『いやその・・先に用意しておいてほしいんだ。内密なお客様でね』
『そうですか。かしこまりました』
“誰が”とか、“何故”ということには、ランファンは興味を持たない。命令されればその通りに行動するというのが、武人としての教育を受けた彼女の習性なのだ。手早くもう2客の茶器を用意すると、さっさと戻ろうとした。
『・・その、ランファン?』
『はい、何かご用ですか?』
『その帯玉・・つけてくれているの、初めて見たよ。やっぱり良く似合う。その帯玉は翠色と翡色の対になっていてね、翡色の方は僕が持っているんだ、ほら』
レイが嬉しくてたまらない、といった表情で言い、ランファンは今日たまたま、自分がマリア・ロスから返してもらった帯玉を腰に下げていることを思い出した。レイが初めて見たもなにも、数年前にアメストリス国に居た頃、リンがお気に入りの遊女にくれてやっていた品なのだ。
『武骨ものでして、帯玉を飾る機会などございませんで』
一応、そう言い訳すると、それ以上の会話を遮るために袖で顔を隠した。ランファンが扉から出ていくと、別の出入り口から男ふたりが入ってきた。ひとりは老人、そしてもうひとりは。
『なるほど、あれが、あの小娘の“気”を読む能力というやつか』
スオ・リゥであった。
まさか、こんなふうに抱き合う日が再び来ようとは思わなかった。今夜だって、エドを目の前にしてもなお、信じられなかった。エドはいかにも楽しそうに、あの大佐とののろけ話を夢中で話してばかりで。
しかし、麻黄の影響で徐々にそんな憂いは薄れていき、根拠のない至福感が全身を支配していく。
「・・エドワード・・」
うっとりと囁き、顎を捉えて唇を、顎を、首筋を、舌でなぞっていく。薬効として催淫効果はない筈だが、五感が鋭くなっており、エドの姿を映す視覚が、エドの声を聞く聴覚が、エドの体臭を嗅ぐ嗅覚が、そしてエドの肌に触れる触覚が、すべて性感帯になったかのようにリンをゾクゾクと突き動かす。
「お、おい、がっつくなよ」
「ダッテ、もうこんな機会、タブンニ度とナイんダヨ」
「まぁ、そりゃあ・・そうだけど・・」
エドも、途惑いながらも徐々にほだされて昂っていく。ただ、擦り付けられるリンの下腹部がまったく変化しないどころか、いつもよりもむしろ力無くうなだれているのが気になっていた。
「あの・・ちょっと口でやってやろうか?」
「アン? シてくれるノ? 嬉しいナァ・・」
リンはヘラッと笑うと、夜着がはだけて露わになった両足を投げ出した。少年だった頃よりも筋肉が目立たなくなり、すらりと細くなった脚は、爪の先までよく手入れされていて陶磁器のように滑らかだ。エドはその足の先にそっと口付けると、唇でなぞり上げるようにしてじわじわとその中心部に近づいていく。
だが、それだけじらしながらも、陽根が一向に奮い立たないのに気づいて、さすがに首をひねった。
「あのさ・・ヨくないの?」
「ンー? スンゴクイイよ・・イキそなぐらい、スンゴク、イイ」
「でもさぁ・・コレ」
「アン? ア、ソッカ、麻黄はソーなんだヨネ。ダイジョブ、勃タなくテモ、スンゴク、キモチイイから、気にしなくてイイヨ」
「そーいうもんかよ?」
柔らかいままのそれを口にふくみ、口腔全体で揉みしだくようにして吸う。喉の奥を突いた固くはち切れそうな感触を思い出して、エドはじれたように顎を大きく開くと、ぐっと袋ごと奥まで飲み込んでいた。
「阿片なら勃つんダケド、アレ、ダウナー系でバッドトリップひどいからサ・・でも、ソッチの方が良かっタカナァ」
などと物騒な独り言を呟きながら、リンは熱心に奉仕してくれるエドの頭を愛おしげに撫で、金髪に指を絡めて弄ぶ。ふと、エドが腰をもじもじさせているのに気付き、上体を起こすと手を伸ばして、エドの腰ベルトを掴んだ。
「お尻、コッチ向けナ・・舐めてるダケのクセに、おっ勃てテルんダロ」
「ン・・んぁ・・」
強引に体の向きを変えさせられた際、一度ソレが口から離れてしまったエドは、飢え切ってすがるかのように再びむしゃぶりつく。唇からは唾液があふれ、顎を伝って喉まで濡らしているが、それを拭おうともしない。
「ナンダヨ、そんなにオイシイ?」
エドは何か答えたらしかったが、声がくぐもって聞き取れない。リンはエドの腰の下に潜り込むような位置に寝転ぶと、スラックスの上からエドの昂りを、まずは手で撫でた。厚い布越しでもハッキリと分かるほど、そこは熱を帯びて湿っている。
「こんなんジャ、パンツの中、ベトベトに濡れちゃってルンじゃネーノ?」
スラックス越しに歯を立て、軽く噛みつくと、エドが悲鳴のような声をあげた。
「出したイ? 一度イっとく?」
「・・やら・・んなの・・やっ」
ベルトのバックルを外し、ジッパーを下ろしてやると、エドが片手を下ろしてきて自らスラックスと下着を手荒く脱ぎ捨てた。リンは唐突に目の前に出現した男性自身に苦笑しながら、熱く脈打つそれを握ってやる。
「ココも育ったネェ・・昔はサァ・・」
「・・チビだったってか?」
さすがに「チビ呼ばわり」にはムッとして我に返ったようで、エドが顔を上げた。ヌポン・・という濡れた音がしてソレが解放され、エドは手の甲でだらしなく垂れた唾液を拭いながら、リンを軽くにらみつける。
「エドはサ、オンナとはシてるノ?」
エドの先端を指先で撫で、たっぷりと溢れ出ている体液を指に絡め取りながら、リンはエドの怒りを逸らすように、まったく別の事を尋ねた。
「えっ? えっと・・その・・一応、したことはあるけど・・」
「ヘェ?」
「・・おまえとか」
「オレ? ・・アハハハ、ソーイウコトもあったネ、ソッカ、オレかぁ」
「だっ・・だっておまえ、すんごくボインで、しかもナカめちゃくちゃヨくって・・だから他のオンナとシてもさぁ・・その、全然・・」
「フフーン、オレが忘れられなかったワケネ。ソレってナンカ、ウレシイヨーな、カナシーヨーな・・」
そうぼやきながら、濡らした指をエドの後ろへと這わせる。
「あっ、ちょっ・・リンッ!」
「ココ、使い込んでるのネー。イキナリずっぽり入ったヨ。クヤシーから、もう1本入れちゃオ」
「バカッ、やめんかコラッ!」などと、エドがギャアギャア喚くのを無視して内部を遠慮なくかき回し、敏感なポイントをまさぐる。ああ、ここだったな・・と、感触が微妙に違う部分を軽く爪で掻くと、さすがのエドも無駄口を叩くことができなくなり、ブルルッと全身を震わせた。
「だめっ・・そんなんしたら・・出るっ!」
「出しナ、飲んでやっかラ」
「やだ、そんなん・・」
「お尻ダケでイカされるのイヤ? 胸も感じさセテあげヨーカ?」
返事を待たずに体を入れ替えると、指を抽迭させながら、エドの乳首に吸い付いてきた。エドは思わず嬌声を上げてリンの背中に両腕を回す。声が次第に上ずっていき、やがて長く尾を引いて・・果てた。
「良かっタ?」
「あ・・うん。すごく・・」
「オンナじゃなくても、イイだろ? オレは」
「あ・・はは、そうだね。すっごく良かった・・ねぇ、今度はリンを気持ち良くさせてあげたいんだけど」
「コレでも十分、気持ちイイんだけド」
「あのさ・・俺が挿れてやろうか?」
思い掛けない提案に、リンは一瞬理解できない様子だったが、思い当たって「ハァ?」というカオになる。
「オレ、今ボインじゃナイヨ」
「分かってるってば」
「ワカッテルんナラ・・オレ、ソッチはチョット・・」
「だって、繋がりたいのに、おまえ勃たねーんだもん。しかたないだろ?」
「ダカラ、指でイかせてやったノニ・・」
リンはブツクサ言ってのろのろと抵抗するが、エドは自分のアイデアに興奮して起き上がると、リンの腰を抱えて押さえ付けた。
帯を解いて着物を剥ぎ取る。上半身まで露わになると、リンが首に小袋を下げているのが見えた。中に何が入っているのか少し気になったが、尋ねることでこの流れが止まってしまうのが惜しくて、あえて聞かなかった。
「まずは十分濡らして、慣らさねーとな・・」
「ワーッ! レイプされルゥ」
「・・何言ってんだか」
臀部を押し広げて、そこを露わにする。白い肌に隠されている内部は鮮やかな薄紅色で、排泄器官であるはずなのに艶かしく、食欲すらそそる。そこに口づけるのに、エドは何の躊躇も感じなかった。
リンもいつの間にかおとなしくなっており・・ただでさえ、薬効で全身が性感帯であるかのように敏感になっているのに、そんな部位を弄られてはひとたまりもなかったのだ。舌がねじ込まれ、ジュプジュプと音を立てる頃には、へらず口を叩くこともできずに啜り泣くような声をあげるしかできなくなっていた。
「な? こっちもたまにはイイもんだろ?」
リンは言葉を忘れたように、目に涙をためながら、唇をわななかせている。その表情にエドはドキッとする。
・・リンってキレイなカオしてたんだな。
切れ長の目にすっと伸びた鼻筋、形の良い唇・・整った顎から首への優美なライン、そして白いシーツに広がる豊かな黒髪は夜の闇そのもののようで・・ゆっくり指で慣らしてから、などという悠長な計画は頭からすっ飛んでしまった。思わずそのまま強引に腰を割り込ませてしまう。
「アッ・・アアアアッ!」
一気に奥まで押し込み・・リンが悲鳴を上げてエドにすがりつく。
「痛い・・のか? 当たり前か。大丈夫か?」
リンの顎が小さく震えていた。それを見て、さすがに無茶をしでかしたと悟り、エドが腰を引こうとする。だが、すでにリンの内壁がエドに巻き付いていて、リンが苦しげにあえぐたびに、淫らに蠢いていた。
「ダ・・ダイジョウブ・・みたイ」
動いていいものやら悪いものやら、エドがリンの腹の上で迷っていると、リンがようやくそう吐き出した。
「本当かよ?」
「痛覚ハ・・鈍ってるようダヨ・・痺れるみたイで・・ナンカ、気持ちヨくなってキたカモ」
「そうか? じゃあ・・動くぞ」
エドが突き上げ始めると、リンがその動きに合わせて高く、低く、獣のように啼く。
リンが悶えるたびに、紐でさげられた小袋が揺れる。何か、固い宝石のような物が入っているらしいが、エドが手を伸ばして触れようとすると、朦朧とした意識の中でもその手を払いのけてきた。多分、相当大切なものなんだろうな、と見当をつけて追及するのを諦め、のけぞる首筋に舌を這わせると、リンの汗がほんのりと甘い匂いを発していた。
ロイの執務室で繰り広げられた、グラマン大総統とのチェス勝負第48回戦は、なかなか決着がつかなかった。ロイが上達した・・というよりは、セコい守りのフォーメーションを固めて、勝負を引き伸ばす“アナグマ作戦”を展開したのだ。そのうちにじれた大総統が自滅するのを待つ・・というのが、ブレダとファルマンが上司のために徹夜で練りに練った戦略であった。
だが、敵もさるもの、伊達に年をとってはおらず、そう簡単に引っかかりはしない。おかげで昼休みに始めたゲームが夕方になっても終わらず、定時の鐘を聞いた後も盤面をにらみ合うハメになった。
「お腹、すきましたでしょう?」
窓の外が暗くなってきた頃、リザがサンドイッチを載せたお盆を持って入ってきた。いつもなら、ロイが仕事をサボっているのを目撃しようものなら烈火のごとく怒り狂うリザだが、お相手が祖父でもある大総統で、しかもその勝負の行方に自分の将来がかかっているとなると、叱るに叱れない。
リザとしては正直、勝ってほしいような気持ち半分、そんなことで嫁に行くのはあんまり嬉しくないような気持ち半分・・といったところだ。
ロイからその話を聞いたときには、即刻「バカなことは止めてください」と文句を言いに行ったのだが「マスタング君が好きじゃないのかね?」と正面切って尋ねられれば「好きです」と答えるしかない。
「だったら、よいではないか。好きな男と結ばれるのが、女としての幸福というものだ。可愛い孫娘の幸福を望んで、なにが悪いのじゃ」
男女はすべからく結婚するものという古い発想の祖父に「例え結婚できなくても、それどころか恋人として手のひとつも握ることがなくても、その傍らに居てその手助けをして・・彼を庇って死ねるのなら本望だ」というリザの想いを理解させて説得するのは、到底不可能と思われた。だったら、運を天に任せるしかない。
サンドイッチの皿をそれぞれの手元に置き、大総統について歩いているブラックハヤテ号にも1枚差し出してやりながら、リザはなにげなくチェス盤に目をやった。岡目八目とはよく言ったもので、膠着状態にあるふたりには見えなくなっているが、あと一手で簡単に勝負がつくことが分かった。
ロイの手助けをしてやろうか・・と、習慣的に思ったが、彼の必死の形相にちょっとだけムカッとした。
・・私と結婚するのが、そんなにおイヤですか?
リザが唐突に手を伸ばすと、グラマン側のキングをつまみあげて、コトリと進めた。
「おおっ! その手があったか!」
「ぐぁあああああ! ちゅ、中尉、な、なんということをっ!」
「ほっほっほっ! あと2戦じゃのう」
リザはニコリともせずに、両腕を挙げて踊り出さんばかりに歓喜する祖父と、髪をかきむしるようにして突っ伏し懊悩する上司を背中に感じながら、わざとコツコツとヒールを鳴らして出口に向かう。
扉を開けて廊下に出、くるりと振り返ると「今日はもう遅いので、そのサンドイッチを召し上がったらお帰りになってくださいね。食器はそこに置いておいてくだされば、明日の朝、私が片付けますので」と、事務的な声で言い放ち、扉を閉めた。
「うむぅ、今日中に決めてしまいたかったのだがのぅ」
「だ・・大総統っ!」
「うむ? なんじゃね? 覚悟が決まったのかね?」
「いえ、あの・・あと3日、猶予をくださいっ! その、あと2戦は3日後に・・」
「往生際が悪いのぅ・・うちの孫娘は嫌いなのかね?」
「いや、嫌いではありませんが」
「だったら良いではないか・・」
「いや、あの・・ですから・・」
サンドイッチを頬張りながら、さらに押し問答がダラダラと続く。大総統の足元で待っていたブラックハヤテ号はとうに待つのに飽きたらしく、犬らしくもなく、ひっくり返って腹を出して眠りこけていた。
窓の外が白みかかっているのには気づいていたが、どちらも肌を合わせるのをやめようとは、なかなか言い出さなかった。ただ、全身がぐっしょり濡れるほど汗をかくことでクスリが抜けて、リンは痛覚が徐々に戻ってきているらしく、時折小さく呻いて歯を食いしばっていた。
「・・抜こうか?」
「ヤダ・・エドをもっと感じていたイ」
「でも・・そんな苦しそうな顔されちゃ・・」
「ゴメン。ジャア、後ろ向こうカ?」
「そういうつもりで言ったんじゃねーよ・・我慢しながらすんのって、意味がないって」
リンの上に覆いかぶさるようにしていたエドが上体を起こすが、腰を引く前にリンが両足を絡み付けて逆にぐっと押し付けてきた。
「・・ッツ・・」
「だからほら、無理すんなって、壊れるぞ」
「エドに壊されるんナラ、オレ、本望カモ・・」
うっとりと呟くのを「バカッ」と叱りつけ、リンの細いウエストを掴み上げるようにして引き抜いた。その部分がまるで離れるのを嫌がるように吸い付いてくる。僅かにまくれあがった内部の粘膜はグロテスクなまでに赤く腫れあがり、挿入前のきれいな状態が嘘のようだ。それが栓の代わりになっていたのか、抜かれた後には白い粘液と鮮血が幾筋も垂れてきて、リンの白い太股やシーツを染めた。
「ゲッ・・ごめん、こんなひどい・・俺、やっぱヘタクソだ・・」
「イイの。エドはオレに、何してもイイんダヨ」
テクニックに対する自信喪失でへこみかけているエドの首に、リンが腕を巻き付けて抱き寄せ、耳たぶを噛むようにして囁きかける。吐息を感じてエドがビクンと反応し、リンは舌舐めずりをするとそのまま顎のラインに沿って頬ずりするように唇を滑らせ、やがてエドの口唇にむしゃぶりついた。
「うぅ・・んんっ・・」
「エドォ、ヒゲ・・痛い」
「なんだよ、男なんだから、一晩もたちゃ生えて当然だろーが!」
「それもそダネェ・・ンーッ」
リンは案外あっさりと納得して改めてディープキスを仕掛けてきたが、その当人の頬は滑らかなままだ。片手でリンの長過ぎる黒髪を弄びながら、女みてぇだよな・・と思った途端、エドの腰の奥がまた熱くなってドクンと脈打った。
「・・スゲェ、エド復活ダァ」
「だめ、もう無理、俺出ねぇよ・・つうか、おまえのが限界だし」
「ジャ、逆スル?」
「逆?」
「オレも復活」
「マジで?」
リンは淫猥に口角を上げて笑ってみせると、エドの手を己の中心に導いて触れさせた。懐かしい質量と熱に、思わずエドの喉が鳴る。
「マダ・・もう少し時間あるト思うカラ・・エド、も一回ほぐす? このままイケる?」
「た・・多分。でも、リン、本当におまえ、大丈夫かよ?」
「ウーン・・正直ちょっとシンドイ・・エド、上になって、腰振ってクレル?」
「・・バカッ!」
そう言いながらも、もう一度舌を絡めあうと、エドはゆっくりリンを抱き下ろすように横たえ、その細いウエストをまたいだ。
『お時間でございます』
それは、宦官が共寝の妃を“回収”に来る時の決まり文句だ。そう呼ばれるまで女と交わっていることは稀なのだが、今日ばかりはその声が恨めしかった。
『もう少し・・ダメか?』
エドの腰を掴んで揺すぶる手を休めず、リンは起こしに来たヤンフィに声をかける。
一方、セックスしている最中を見られるなんて事態に慣れていないエドは、しかも騎上位のせいでまともにヤンフィと顔を合わせる形になってしまい、思わず悲鳴をあげかけ・・とっさに片手で自分の口を塞ぐ。
「アッ・・エド、バカッ、絞めんナッ!」
もちろん、絞めたくて絞めているわけではなく、他人の視線にパニックに陥りかけているエドの生理的反応だ。
「クソッ・・出るッ!」
ニ、三度大きく突き上げると、リンの動きが止まった。内部のリンのわななきに感じているのか、エドの上体がビクンビクンと電気でも通されたように痙攣する。
『・・お時間でございます』
ヤンフィは苦笑いしながら繰り返し、まずはエドの体を毛布で包んでやった。
『朝政に遅れますよ』
『今日・・パス。しんどいから、レイに代わりに出てもらう。だから・・』
『でも、エドワード君も、もう帰らないと』
次に、ヤンフィがリンの背中に腕を回すと、よいしょっと抱き起こす。あちこちに引っ掻き傷や歯型がついているのを見て眉をひそめるが、あえて何も言わなかった。
こんな姿を女官や宦官どもに見せたら、どんな噂がたつか知れない・・本当に世話がやける子だこと。
腰が抜けてベッドにうずくまったままのリンの体を、くるくると手早く濡らした手拭いで浄めて肌着を羽織らせると、ヤンフィは続いて、呆気に取られて突っ立っているエドの身支度まで始めた。
エドが我に返って「あっ、その、自分で着れますからっ!」と叫んだ頃には、パンツを履かされ、シャツのボタンまで填められていた。慌てて自分でスラックスを履いてベルトを締めていると、その間にもヤンフィの白い指がエドの金髪を軽く梳いて、キチッと三つ編みに編み、女物のショールをすっぽりとかぶせた。
「セイに館まで案内させル・・エドワード君、歩けるネ?」
「あ・・はい」
別れを惜しむ情緒もない慌ただしさだが、逆に言うと、密会がバレないぎりぎりいっぱいの時間まで、ヤンフィが引っ張って待ってくれたということだ。
「エドエド、ちょっとちょっと・・」
リンが手招きをする。エドが「なに?なに?」と近寄ったところを、ショールを掴んで引き寄せ、唇を重ねた。すぐ隣に、ヤンフィもセイもいるのに・・と、エドが逃げようとするのを、両手で頭と顎を押さえ込むようにして、強引に舌まで割り入れて貪る。鼻で呼吸できるはずなのだが、あまりの荒々しさに息苦しくなるほどだった。
「・・っぷあっ・・! リンッ、おまえなぁっ!」
「じゃあナ」
照れてどつこうとした手が、リンにまっすぐ見つめられて止まってしまう。
そう、これでもう・・お別れなのだ。
「うん、じゃあね」
今度はエドから、掠めるようなキスをした。無意識にふたりの指が絡み合う。
『セイ、それと、帰りにレイ殿を呼んで来なさい』
やがて、ヤンフィが命じる声で我に返り・・直接ふたりに声をかけるべきところを、遠慮してあえて従者に話しかけたのだろう・・ふたりの指がゆっくりほどけて離れていく。エドはショールの胸元をしっかりと握りしめ、リンは・・エドが出ていくのを見送ると、まだ彼の指の感触が残っている己の指に、そっと唇を押し当てていた。
いくら影武者であろうとも、レイが後宮に入ることはできない。禁門を出てすぐの小さな館が、リンとレイが入れ替わる場となる。後宮での護衛とそれ以外の場での護衛が引き継ぎを行う場でもあるのだが、部屋着から正装に着替えるためだと言えば、どんなに熱心な衛兵であろうと、無理に支度部屋までは押し掛けて来ない。その警備の盲点をつく形だ。
『兄貴、いいのかよ? ここ最近は大事な議題があるから、僕に任せられないって言ってなかったっけ?』
寝不足気味のところをセイに叩き起こされて不機嫌なレイが、リンに背を向けて己の短衣を脱ぎながら尋ねる。
『ああ、そうなんだが・・ちょっと無理な体調でさ。どうせ朝政は報告程度だし、万が一決裁が要るような案件があっても、いつも通り適当に誤魔化して後回しにしておけ』
『玉璽を貸してくれたら、ちゃんと処理しておいてやるけど?』
『これは皇帝本人以外は持てないんだってば』
『僕を信用してないわけ?』
『信用がどうとかじゃなくてさ』
リンの声が妙に掠れていたので、風邪でもひいたのだろうかとレイは振り向いて・・着替え中の兄の背中にギョッとする。全身が鬱血だらけのうえに、肩甲骨から脇腹にかけて、真っ白い肌にまるで、翼のような傷が広がっていたのだ。もちろん、血はとうに止まっているが、それでも左側は深く、生々しかった。
『それは・・』
『ああ、昨夜、ちょっとな』
『女? それにしてはひどい・・』
『ああ、遠慮のない奴でね』
苦笑してみせる横顔は血の気がなく、唇まで紫色をしていた。
『兄貴? 本当に大丈夫かよ? ファーダを呼ぼうか?』
ファーダは、医術や錬丹術に造形が深いヤオ家の食客のひとりだ。レイがつい、手を伸ばしてその背に触れると、リンがゾクッと全身を震わせて反応した。
『ばかっ、よせっ!』
『何? どうしたの? 兄貴、変だよ?』
『いいからっ! おまえはとっととこれを着て、行ってくればいいんだからっ!』
怒気を帯びたリンの頬に、うっすらと朱を掃いたように赤味がさす。それがあまりにも艶かしくて、レイは思わず途惑ったが、リンに正面切ってにらまれるとそれ以上は何も言えず、すごすごとリンが脱いだ正装の黄色い長衣に袖を通すしかなかった。
『ほらよ、ダミーだ』
リンが、小袋から金色の印章を引っぱり出して投げてよこす。レイはそれを受け取って懐に入れて部屋を出ていった。ダミーだというのは、この“玉璽”のことであったが、まるで影武者である自分に当てつけた台詞のように聞こえて、不快であった。
一方、リンはレイを見送ると・・麻黄の副作用である倦怠感がピークに達して、その場にへたり込む。
気分を高揚させる効力がある反面、薬効が切れるとその反動でひどく気だるくなるのだ。リンは服を着る余力もなく、ずるずるとレイの温もりが残る服を体に巻き付けただけで、床に転がった。
レイが戻って来てこの有り様を見たら、さぞやビックリするだろうが、その前にはなんとか、この気持ち悪さが治ってくれればいい・・いや、それともねーさんあたり、心配して様子を見に来てくれるかな?
リンは引き込まれるように、眠りとも失神ともつかずに意識を手放した。
太陽が黄色く見える・・ほどではないが、陽光が眩しく感じられて、目をショボショボさせながらエドが館に戻ると、ほとんどの者はまだ眠っていたが、唯一マリアだけが起きて、エドを待ち受けていた。
「一晩中、どこへ行っていたの?」
「あ、その・・まぁ、眠れなくて、散歩ってトコかな」
「ふうん? さっきまで、スオさんが捜してたわよ? 今日の夕方には調印に漕ぎ着けたいから、打ち合わせをしたいとか、なんとか言って」
まさか、皇帝陛下のもとへ夜這いに行っていました・・などとは口が裂けても言えないだろう。
エドは見える位置にキスマークや引っ掻き傷が付いているのではないか、そもそも匂いでバレるのではないかと、血の気が引く思いをしたが、マリアはあえて、それ以上追及してはこなかった。
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